映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

※2019年の“はてなダイアリー”終了に伴い、2018年9月にブログを移行しました。

『ゲット・アウト』 笑顔の恐怖


ジョーダン・ピール監督、ダニエル・カルーヤ、アリソン・ウィリアムズ、リル・レル・ハウリー、キャサリン・キーナー、ブラッドリー・ウットフォード、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、ベティ・ガブリエル、マーカス・ヘンダーソン、キース・スタンフィールド、スティーヴン・ルート出演の『ゲット・アウト』。2017年作品。

第90回アカデミー賞脚本賞受賞。

予告篇にすでにネタバレがあるので、観ない方がより楽しめるだろうと思います。

クリス(ダニエル・カルーヤ)は恋人のローズ(アリソン・ウィリアムズ)とともに彼女の実家に行くことになっていたが、自分がアフリカ系の黒人であり、ローズは白人だということに一抹の不安を感じていた。ローズの実家を訪れると彼女の両親は感じのいい人たちで歓迎してくれるが、使用人で黒人女性のジョージナ(ベティ・ガブリエル)や庭の管理人でやはり黒人の男性ウォルター(マーカス・ヘンダーソン)の様子にクリスは何か普通でないものを感じるのだった。


劇場公開時には上映している映画館が遠くて観にいけず、その後オスカーも受賞したし評判もいいのでずっと観たくてようやくDVDで視聴。

人種差別をテーマにしているホラー、ということ意外内容については知らなかったんですが、先日映画館で観たドキュメンタリー映画私はあなたのニグロではない』(感想はこちら)の劇場パンフにこの映画のタイトルが出ていて、2本の作品で描かれていることの類似性について書いてあったのでいっそう興味をそそられました。

そして実際に観てみて納得。

それでは早速これ以降はネタバレがありますから、未見のかたはご注意ください。


最初に「ホラー」と書いたけど、この映画にはモンスターや殺人鬼の類いは出てこない。「白人」をモンスターのように描いている、とはいえるかもしれない。そしてそれは作り物の怪物よりも恐ろしいものだ。

なぜなら、「人種差別」は現実に存在するから。ここには現実に根ざした怖さがある。


黒人である主人公ににこやかに接してくる白人たちが実は…という恐怖は、アメリカにおいて自らリベラルを標榜する白人層への大いなる皮肉とも取れる。彼らは本当は黒人のことを理解していないし興味も持っていない、という批判的な視線。

この映画を観ると、先述の『私はあなたのニグロではない』の中で作家のジェームズ・ボールドウィンが述べていた問題がよりわかりやすくなる。

リベラルな姿勢そのものを否定するわけではないが、あくまでも自分たちの基準で「あなたたちをわかってあげる。受け入れてあげる」という態度そのものが傲慢で差別的なのではないか、ということ。そこでは世の中には外見はもちろん、自分とは異なる文化や価値観があってそれらは尊重すべきものだ、という視点が抜け落ちている。

差別問題とは直接関係ないけど、僕は普段やたらと人前でおどけた軽いノリで冗談を連発する“おっさん”に薄気味悪さと苛立ちを覚えるんですが、それは相手に取り入ろうとしてるおっさんの魂胆が透けて見えるから。

相手のことを理解したりそのことでより多様な考えを受け入れるためではなくて、表面的に取り繕って相手に同調しているフリをしているだけなのが丸わかりなのだ。

そして、そういうおどけた態度に不真面目さと相手に対する非礼を省みない無神経さを感じ取る。

この『ゲット・アウト』で、会ったばかりのクリスに向かってやたらとハイテンションでジョークを言い続ける(それも別に面白くはない)ローズの父親ディーン(ブラッドリー・ウットフォード)がまさにそれで、言い慣れない黒人言葉を連発したり、何かにつけてクリスが「黒人」であることを強調しながら褒めるところ、その勘違いした擦り寄りぶりが気持ち悪い。クリスがヒイている様子が可笑しくも、なんとも不気味な印象を残す。


あからさまに差別するよりも多少の誤解や偏見はあっても友好的な態度を取るほうがまだマシだ、とも思えるんだけど、結局相手に対して興味もなければ仲間だと思ってもいないのにそのように偽って演じている、というのはかえって悪質だともいえる。

だって陰では何を言ってるか、本当は何を考えているかわからないから。そんな相手を信用できるわけがない。

クリスは、ローズの実家アーミテージ家の人々の表向きには友好的な態度に違和感と不信感を募らせていく。それは彼らがパーティに呼んだ近所の人々に対しても同じだった。

年配の白人たちがクリスに語りかけてくる言葉がいちいち癇に障るというか、無神経なのだ。「アレは強いんでしょ?」とか言っていきなり彼の身体に触ってくる女性もいる始末。

日本人の中には日本や日本の文化について外国人から褒められると無邪気に喜ぶ人たちが一定数いるけど、僕だったらクリスと同様、気持ち悪いと感じるだろうと思う。別に俺は日本や日本の文化を代表してるわけではないのだし、出会いがしらにいきなりそんなこと話されても困る。

本人にはまったく悪意がないのに相手に対して言うことややることがことごとく的外れで差別的、ということもある。それは相手からすれば悪夢のようなものだ。

ハリウッド映画における日本描写を思い浮かべればいい。リスペクトしてるつもりで勘違いや勝手な思い込みによる珍妙な描写が平然と垂れ流される。そしてたとえ作り手は意識していなくても、そこには日本人や日本という国に対する彼らの偏見が刻印されている。

ただ、ハリウッドのことばかりも言ってられなくて、つい最近、お笑いコンビのダウンタウンの浜ちゃんが顔を黒く塗って『ビバリーヒルズ・コップ』のエディ・マーフィの真似をやってぶっ叩かれたのも記憶に新しい。おそらく番組の送り手には悪気はなかったんだろう。だが彼らはアフリカ系の人々についてあまりに無知だった。

「リスペクトしてるのに、どうして怒られるの?」と不思議がってる人たちは、何が問題なのか本当に理解できないんだろう。白人の黒人に対する無理解や身勝手な思い込みと変わらない。

この延々続くすれ違い。距離が縮まらないもどかしさ。

アーミテージ家やその近所の白人たちの最大の問題点は、クリスを「個人」ではなく「黒人」という枠だけで見ていること。それ以上の関心を彼に対して持っていないのだ。クリスがどんな趣味を持っていてどんな価値観の人で…といった彼自身のパーソナリティについては一切触れようとしない。興味がないから。

同じ黒人だからと気を許して話しかけてみた庭の管理人のウォルターもなぜか意味不明な笑みを浮かべていてよくわからない奴だし、来客の一人のローガン(キース・スタンフィールド)はまるで白人のように喋り、彼らのように振る舞う。


盲目で画商のハドソン(スティーヴン・ルート)はクリスが撮っている写真に興味を示したが、会話しているとどうやら彼が本当に関心があるのは“視力”のことらしい。

前半のこの不穏な空気、明らかに普通ではない白人たちの様子にドキドキするのだが、庭でビンゴゲームに興じている人々が実は「クリスをオークションにかけていた」ことがわかる瞬間、恐怖感はピークに達する。


この、白人たちが黒人の「肉体」だけを欲している、というのは、やはり『私はあなたのニグロではない』でも言及されていた黒人の肉体や精力についての神話と重なって、一方でひどく滑稽にも感じられる。

しかし相手をただの肉体とか身体の一部、器官としか見ていない、ということでは実に非人間的で恐ろしい。

そしてここには、人をその人個人ではなく属性でしか見ないことの怖さもある。差別というのは、まず相手を勝手にカテゴライズするところから始まるのだから。

また、クリスはクリスで「同じ黒人だから」ということでウォルターやローガンと「黒人流」に接しようとするが、うまくいかない。これは黒人だってみんな一緒じゃなくていろんな環境で生きているさまざまな人がいるんだよ、ってことを語っているようにも思える。

同じ日本人でも、同郷の出身でも、歳が近くても、性別が同じでも、だからって気が合うとは限らないし、人を属性だけで判断しようとすると見誤る場合がある。何よりもまずその人個人を見なければ。

ジョーダン・ピール監督も、映像特典に入っていた舞台挨拶のQ&Aで「コミュニケーション」の大切さについて語っていた。伝聞や勝手なイメージで相手を判断しないこと。

「ホラー映画」というエンターテインメント作品で差別問題を扱ってみる、という試みはとても新鮮だったし、いろんな人とあれこれ議論すると面白いと思います。

だから観たことに意義はあったと思いますが、一方で1本の映画としてどうだったかというと、前半のなんともいえない不気味な雰囲気の魅力に対して後半はどんどんお話が荒唐無稽になっていくので、逆に怖くはなくなってしまった。

脳みそを入れ替える、みたいな展開にはさすがに「それはないだろ」と^_^;

ローズの母親のミッシー(キャサリン・キーナー)は催眠術師で、クリスの喫煙をやめさせる、と言って半ば強引に彼に催眠術をかける。

催眠術の効果でクリスは思い出したくなかった母親の死についての記憶を蘇らせる。

クリスが幼かった頃、仕事帰りの途中で母親が車に撥ねられて、路肩で誰にも助けられないまま亡くなった。

クリスは家でTVを観ながら嫌な予感がしたが、その予感が当たるのが怖くて母を捜しにいかずに部屋の中で帰りをずっと待っていた。母を見殺しにしたという罪の意識が、ずっと彼を苦しめてきた。

ローズの実家に向かう途中で道に飛び出してきた鹿を撥ねてしまい、その死骸を見つめるクリスの脳裏には、かつての母の死のことが浮かんでいたのだろう。

このあたりは伏線めいていてホラーとして巧いと思うんだけど、そもそもミッシーのあの催眠術師の能力は、この物語の根底にある「差別問題」というテーマと一体なんの関係があるのか。

どうやらヤバそうな白人たちがやっぱりヤバくて黒人に手術を施してその身体を乗っ盗っていた、というオチは、正直ホラーとしては別に意外でもなんでもなくて凡庸に思えたし、ラストでクリスの親友のロッドがいきなり車で助けに現われるというのもとってつけたようで肩すかしだった。


いかにもハリウッドのコメディ映画に登場しそうな軽いノリのブラザーなロッドのキャラは、コメディアン出身の監督の投影なのかもしれない。


ロッドが警察にクリスの危機を訴えるが彼と同じ黒人の担当者たちは一笑に付して本気にしない場面は、その不条理ぶりがさらに物語的に進展を見せられたはずだし、ロッドがクリスから預かった飼い犬だって使いようによっては戦慄するようなグロテスクな場面を作れたはず。1個1個の要素が映画の中で充分に活用されていないのだ。

だから、面白い部分もあるし議論するには格好の材料だろうけど、期待していたほどの傑作だとは僕は思いませんでした。

DVDには変更される前のラストシーンが入っていて、それはロッドは助けに現われず、やってきたのは警官のパトカーで、血だらけで倒れているローズやウォルターの死体を見て警官たちはクリスを逮捕する。

そして面会に来たロッドの前にいる囚人服のクリスは、おそらく殺人の加害者として裁かれるだろうことが暗示されて映画は終わる。

僕はこのカットされたラストの方が断然よかったと思う。そうしていたら、いつも白人に都合のいいように物事が決められてしまうアメリカ社会への大いなる皮肉になったでしょう。

監督は現実が厳しい方向に向かっているので敢えて救いのある終わり方に変更したそうだけど、もったいなかったなぁ。

これはキツくても最初のヴァージョンで通すべきでしたよ。クリス役のダニエル・カルーヤやロッド役のリル・レル・ハウリーもこのエンディングを気に入っていたようだし。

あと、催眠術をかける時の合図としてティーカップの中の紅茶をスプーンでかき回すんだけど、あれにどんな意味が込められているのかよくわからなかった。*1


そしてカメラのフラッシュによって暗示が解ける、というのも、やはりどんな意味があってそういうことにしたのかわからない。

そこは観ていて「あぁ、そういうことだったのか!」と思わせてほしかった。

実は僕は以前は劇中のクリス同様に喫煙者だったんですが、9年ほど前にそれまで10何年間もずっと吸い続けていたタバコをやめて以来ずっと吸っていません。吸いたくもならない。というか、今ではタバコの臭いを嗅ぐと気分が悪くなる。

それは自分で自分に暗示をかけたからです。

自分がこれまで経験してきた不愉快なこと、思い出したくない嫌な記憶をタバコに結びつけてそこに封印するイメージをし続けたところ、タバコの臭いを嗅いだら自然とそれらが一気に頭の中にウワァ〜っと湧いてくるようになった。だからもうタバコは吸いたくないし、臭いを嗅ぐのもイヤだ。

もちろん、これは誰かに催眠術をかけられたわけではなくて自己暗示によるものだし、いきなり禁煙に成功したのではなくて、地道に一日、三日、一週間、ひと月…と時間をかけて意識して吸わないようにして身体を慣らしていったんですが、タバコを吸おうとすると忌まわしい記憶が蘇ってくる、というこの映画の暗示は現実に効果があるのは確かです。

で、せっかくそういうリアルな「暗示」という要素を出したのなら、それをもっとうまく活かせなかったのかな、と。

白人が大勢いる中で一人か少人数の黒人が感じるプレッシャーや、あるいはアメリカ社会の中での白人文化からの影響など、「暗示」というものを絡めてもっとゾッとする展開にできたんじゃないだろうか。

「暗示」や「刷り込み」というのは思い込みや偏見に繋がるものでもあるのだから。

この映画はアカデミー賞脚本賞を獲ってるけど、この題材だったらもっと面白く、さらにクオリティの高いシナリオにできたんじゃないかと思います。

監督はもともとコメディアンなんだそうで、確かにこの題材はまったく同じものをコメディとして描くこともできるでしょうね。ウォルターの夜間の全速走りなんて完全にコメディだったからw 頭蓋骨を切開する場面もホラーよりも笑いにもっていった方がよかった気が。

それにしても、ローズの弟ジェレミー役のケイレブ・ランドリー・ジョーンズはいろんな映画でいつも痛い目に遭ってるなぁw


主人公クリス役のダニエル・カルーヤはマーヴェル・ヒーロー映画『ブラックパンサー』(感想はこちら)では主人公の親友を演じてましたが、彼もまた舞台での質疑応答の時に白人たちの中に黒人の自分がいることのプレッシャーについて語っていて、それは黒人でも白人でもない僕にはわからない感覚ではあるのだけれど、たとえば街なかで外国人の集団と出くわした時の緊張を思い出すとなんとなく想像はできる。

あるいは、中高生時代に学生服で他校の生徒たちとすれ違う時の感覚っぽくもあるが。同じ言葉を話しているけど属しているところが異なるから、もしかしたらトラブルに…という不安がなくもない、という。

まぁ、アメリカの白人と黒人の間の問題はそんなもんじゃないのはわかってますけど。本気で憎み合って殺し合ってる奴らもいるわけだから。

この映画での表面的には笑顔で言葉を交し合っているけど、その実、相手をモノのように見ていたり、疑心暗鬼になっている白人と黒人たちの様子には何かほんとに根深いものを感じる。

使用人のジョージナを演じるベティ・ガブリエルは、クリスに何かを訴えようとして、でも自分の中の別の何かに強制的に従わされる状態を涙を流しながら笑う演技で見事に演じていて、最高に“ホラー”でした。


だからこそ、そういう暗示や洗脳の恐ろしさも含めてもっと現実の世界と接点のある描き方をしてくれていたら、さらに怖さが増しただろうと思うんだよね。

クリスの恋人ローズを演じるアリソン・ウィリアムズは、そのくっきりとした目鼻立ちや清楚で真面目そうな雰囲気がちょっとジェニファー・コネリーを思わせてその普通っぽさがよかったんだけど、劇中ではもっともまともで常識的に思えたローズが後半になって豹変する怖さが足りなかったな、と。


だって、これまでの彼女の言動がすべて“演技”だったんだとしたら、それはいくらなんでも無理があり過ぎるでしょう。

彼女もまた「暗示」にかけられていた、というのならまだわかりますが。

ローズは肌の色の違いを越えて主人公の恋人になったとても重要なキャラクターなのだし、そこはやっぱり「常識的で正しいと思われている者も操られていた」というところに説得力がなければ、ただの絵空事になってしまう。

だから、惜しいなぁ、と。ホラー映画の中で現実の世界の差別問題を「寓話」の形で描く、ということを期待していたから。

でもなかなか面白かったですよ。


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*1:映画評論家の町山智浩さんの解説によれば、あの母親が紅茶をよく飲んでいるのはあそこが南部であることを意味しているのだそうです。