※以下は、2011年に書いた感想です。
デレク・シアンフランス監督、ライアン・ゴズリング、ミシェル・ウィリアムズ出演の『ブルーバレンタイン』。2010年作品。日本公開2011年。R15+。
7年目にしてすでに結婚生活がかなりの末期状態にある夫婦ディーンとシンディの二日間と、彼らの出会いから結婚までを並行して描く。
映画の題名はトム・ウェイツの同名曲からとられてるんだとか。憂鬱なヴァレンタイン?
さて、この映画についてはすでに大勢の人たちが絶賛していて、僕もいくつもの感想を聴いたり読んだりしました。
で、けっこう悩んだ。
「観るべきか観ざるべきか」。
だって夫婦の破局の話なんでしょ?
それって俺になんか関係あるのか?と。
恋愛弱者でずっと独り身だし。彼女もいないし今後もつくる予定もない“永久孤高状態”だから。
何が恐ろしいって、それは映画観て一組の男女の関係が身につまされてツラくなることなんかではなくて(そうだったらむしろそれは映画を十二分に堪能したことになるわけで)、登場人物たちに一切共感も感情移入もできず、彼らのおかれた状況に興味すら湧かずに、ひたすら「俺はなんでこんな映画を観てるんだろう、独りで」と虚無的な気持ちのまま2時間を過ごすこと。これが一番シンドいし、そうなる可能性が非常に高いのが自分でわかってたから。
でも、気になるんだよね…だってみんな褒めてんだもの。
悔しいもんなぁ、普段、映画についてエラソーに語ってるくせにそういうのを逃すのは。
だから腹をくくって観に行くことにした(たかだか映画1本観るのにどんだけ引っ張るんだって話だが)。
以下、ネタバレあり。
…いやぁ、これは感想書くのに苦労するなぁ。
たしかにヘヴィな一本でしたが。
経験値が圧倒的に不足してる身ながらかなり想像力を振りしぼって観たんだけど、予想どおり自分にはわからないことが多すぎて。
この映画が特に「秀逸」だと評価される最大のポイントは、今まさに終わりを迎えようとしている夫婦と、同じふたりの結婚式の場面がカットバックされるラストシーン…なんだろうなぁ多分。あとエンドクレジットの写真ね。
エンドクレジット
www.nicovideo.jp
あそこで「うわわぁ~」ってなった人たちは多いみたいだけど、わかんない人間には「…ん~、そうなのか」みたいな。
つまり、今まで一度でもカノジョやカレシ、カミサンやダンナと「ふたりで一組」みたいな一体感を感じたことがある人と、そんな感覚すらろくに経験したことがない人間とでは、もはやこの映画を介してまともな会話すら成立しないんではないかと。
僕はほとんどそんな経験がないんで「くっそ、俺はハミゴかよ」とイジケそうになるのを抑えながら観ていたんだけど。
ただ、観る前はこの男女に嫌悪感しかもてないんではないかと懸念していたのが、意外と彼らどちらに対してはもそんな不愉快な感情は抱かなかった(鈍くて彼らがもつ問題に気づいてないだけなのかもしれないが)。
僕はむしろ、しばしば引き合いに出される『(500)日のサマー』(感想はこちら)のカップルの方がダメだったぐらい。
『(500)日~』のふたりはなんかいちいち彼らの言動が癇に障ったんだけど(主人公がやたらとまわりにアドヴァイスを求めまくるのも嫌だった)、この『ブルーバレンタイン』では他人はほとんどしゃしゃり出てこないし、なんか友人夫婦の話を聴いてるみたいな、う~ん、そっかぁ、ってわかんないくせに相槌打ったりしてる感じ。
ただ、ミシェル・ウィリアムズが演じるシンディはこの映画の中でモテモテなんだけど、僕には最初からそれほど魅力的な女性には見えなかった。
なんというか、「あぁ、こういう女性なら好きになっちゃうよね」という感じがしなくて。
あのレスリング部の男にとって彼女は「都合のいい女」だったんだろうけど。
ああいう子は大学のキャンパスにいそうだけどさ。
だからディーンはまず彼女のどこに一目ぼれしたのかよくわからない。そんなめっちゃ美人というわけでもないし。
ディーンの歌にあわせてタップを踊る姿はキュートでしたが。
まぁ、そのあたりが逆にリアルなんですけどね。
彼にとってたまたまシンディが「好み」の女性だった、と思うしかない。
そして夫婦それぞれに問題があって、打算的だったり幼稚過ぎたりと、どちらか一方だけが悪いとはいえない。
ふたりがラブホでシャワー浴びたりベッドで悪戦苦闘するシーンなんて、まるで友だちとその彼女やカミサンの夜の営みを見てるようで(自分のは想像もしたくない)ほんとに居心地悪かった^_^;
素晴らしい「マゾ・シネマ」でした。
なんか、ほんっとに薄っぺらな感想しか書けなくて自分で愕然としてるけど…しょーがねぇだろ、わかんないんだから!って居直ろう。
この映画でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされたミシェル・ウィリアムズの、つねに思いつめたような目つきを見てると落ち着かない。
ライアン・ゴズリングはまず最初にあの頭髪に目がいくけど、あれは役作りのために髪の毛抜いて薄毛にしたんだそうな。デ・ニーロ・アプローチだな!
このふたりのリアリズム演技については、たとえばこれと『英国王のスピーチ』(感想はこちら)のコリン・ファースや『ブラック・スワン』(感想はこちら)のナタリー・ポートマンの演技などを観比べてみると面白い。
なんか“映画スター”と“役者”の演技の違い、みたいな。
いや、ライアン・ゴズリングもミシェル・ウィリアムズも、実際にはスターのオーラがある美男美女ですけどね。
僕は個人的にはナタリー・ポートマンのような“熱演”の方がわかりやすくて好きだったりしますが。
もっとドロドロとした愛憎劇、みたいなのを予想してたんだけど、そこんとこはそんな複雑でもなくて、ほんとにシンプルだった。
すでに夫に生理的に堪えられなくなっている妻と、自分も自分の生活も変える気がない夫。
もはや修復不可能になった夫婦生活の終焉。
これまた、そーゆーもんか、と。
“過去”と“現在”が頻繁に行き来するんで、ときどき「あれ?これ今だっけ、過去だっけ」とこんがらがる瞬間もあって、けっこう集中力を要したけど。
娘役の女の子が小さくてほんとに可愛いだけに、無邪気に父親にまとわりついてる彼女の今後を想像するといたたまれない気持ちになる。
親の都合であんなふうに別れられちゃったら子どもにとってはじつに迷惑な話だ。
こうなってもやはり結婚って、した方がいいのか。
簡単に答えはみつからない疑問だ。
町山智浩さんやライムスター宇多丸さんの映画批評を聴いて、よくそんな細かいディテールを拾っていちいち反応できるなぁ、と感心した。
それにしてもこの盛り上がりはなんだろうなぁ。そんなにみんな共感するんだ。うらやましいよーな、どーでもいいような。
ただ町山さんがおっしゃってたように、たしかに映画を観て人生を学ぶ、ってことはあるんで観てよかったと思います。勉強になりました。
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