映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

もう一つのブログとともに主に映画の感想を書いています。

「あさが来た」を観ていて気になったこと。

NHK朝の連続テレビ小説あさが来た」の感想ではありません。


先月末から始まった波瑠主演の朝ドラ「あさが来た」を毎日観ています。

前回の記事で朝ドラにちょっと飽きかけてるようなことを書いたんですが、今のところ好調というか、波瑠さん演じるヒロインの“白岡あさ”の「なんでどす?」な京都弁も、自分の手で口をキュッと閉じるセルフ・アヒル口も(ちょっとあざといけど)可愛らしくて毎朝癒やされてます。

ただ、少々気になってることがあって、それはこのあさちゃん、毎日必ず言う口癖の「びっくりぽん」(この前なんか15分の放送中に3回言ってた)を筆頭に、喋り方がしばしば現代っぽいのだ。

といっても、時代劇*1で現代の言葉や言い回しが使われるのはけっしてこのドラマに限らないし、だいたい江戸時代に実際に使われていた言葉だけを厳密に選んで台詞にしたら現代の視聴者には難解なものになってしまう。それはわかっています。

子どもの頃に読んだ長谷川町子の漫画「新やじきた道中記」では章に「哀歌(エレジー)」というサブタイトルが入っていたり、主人公の弥次さんや喜多さんがこの漫画が描かれた昭和20~30年代のものらしき言葉遣いをしていたことを思いだす。英単語も平気で使ってたんじゃなかったっけ。

手許にないんで、どこが、と具体的に引用できないのがもどかしいんですが。

もちろん作者の長谷川さんはそれをわざとやっていて、「新やじきた道中記」は「サザエさん」同様コメディ作品*2時代考証を時代小説並みに細かくやっているわけではないし、江戸時代を舞台にしながらも現代の人々のカリカチュアでもある、そういう作品は別に珍しくないでしょう。

黒澤明のサムライ映画だって「座頭市」や「必殺」シリーズだって、台詞の中には当然現代の言葉が使用されている。

少女漫画の「はいからさんが通る」に対して「あの時代にあんな喋り方するはずないし、そもそも登場キャラの髪の色がおかしい」などと文句言っても意味がない。

だからそういうことをいちいちあげつらう気はないんですが。

こちらは別に歴史に詳しいわけでもないし。

あさが来た」に対しては「まるで志村けんのバカ殿コント」という揶揄もあって(白塗りしてたしw)、失礼ながら笑ってしまいましたが。

まぁ、そんな感じで楽しんで観ていたのですが、まだ精神的に幼くちょっとヌケたところもあるヒロインが嫁入りして、夜な夜な外泊していた夫とついに結ばれた*310月16日放映の回で、あさちゃんが新選組との会話の中で「真逆(まぎゃく)」という言葉を堂々と使っていたのにはさすがにギョッとしてしまった。

「真逆(まぎゃく)」という言葉については以前アメブロに記事を書きました。

“真逆(まぎゃく)”の行方


要するに、「真逆」と書いて「まぎゃく」と読んでそれを「正反対」という意味で使用する習慣は2002~03年頃(もしくは90年代末ぐらい)から始まったもので、江戸時代どころか昭和の時代にだって存在しなかったかなり最近の“新造語”なのだ。

確かに子ども時代を過ごした80年代にそんな言葉を聞いた覚えはないし、90年代にすら記憶がない。

「“真逆(まぎゃく)”というのは映画業界での隠語が基になっている」というまことしやかなガセが流布して、さも昔から映画の世界ではスタッフや俳優さんたちが使っていたかのように解説されていたが、そのような事実はないらしい。

また、さまざまな文献などを片っ端から当たれば、西暦2000年代以前にそのような単語が書かれた書物は一つもないことに気づくでしょう。

仮にそれまでは隠語・専門用語として一部の人々の間だけで使われていたのだとしたら当然その業界の人たちの誰かが憶えているはずだが、なぜか「私は昔から使っていた」と主張してその証拠を示す者はいない。

出自不明の言葉なのだ。

これも証拠となる資料がないので記憶だけに頼って書きますが、この「真逆(まぎゃく)」は10年ちょっと前ぐらいにTVのヴァラエティ番組でお笑い芸人たちが多用していた。

特に「フィーチャー(feature:特集、客演)」のことを「フューチャー(future:未来)」と言い間違えてやたらと「フューチャーする」という謎の言葉を得意気に駆使していたG長K長のK本さんが使っていた覚えがある。

最近では有名なヴェテラン女優さんがこれもヴァラエティ番組で普通にこの「真逆(まぎゃく)」という単語を使っていて驚かされた。確実に彼女は以前には使っていなかった言葉なのに。

現在では映画やTVドラマの台詞の中だったりヴァラエティ番組のナレーションなどでも当たり前のように使われているし、時にはアナウンサーでさえもなんの疑問もなく使用していることがある。

この言葉は完全に日本中に浸透してしまったんだな。

その事実自体に腹を立ててもしょうがないし、造語というのはいつの時代だって生まれるものだからそういうもんだと思うしかないんですが(僕は意識して使わないようにしてますが。試しに僕のブログの他の記事を読んでもらえば、「真逆(まぎゃく)」という単語が一切使われていないことがおわかりいただけるはず。すべて「正反対」と表記しています)、それはともかく、平成も10年以上経ってから生まれた言葉が幕末を舞台にした真面目な時代劇で使われているのはやはり違和感があるのだ。

昭和30年代の人が「スマホ」という言葉を使っている以上に時代考証的におかしいわけで。

江戸しぐさ」じゃあるまいし。

スタッフもキャストも誰も疑問を感じなかったのだろうか。

朝ドラでいえば、「カーネーション」でもやはり尾野真千子演じるヒロインがある場面で同様に思いっきり「真逆(まぎゃく)」という言葉を使っていた。

人は忘れっぽいもので、その時代に存在していなかったものもフィクションの中でうっかり登場させてしまったりする。

同じ朝ドラでこのようにわりと頻繁に言葉のタイムスリップが行なわれていることに僕は不思議な感覚を憶えたんですね。

いや、「うっかり」などと勝手に決めつけてますが、脚本家のかたがたは僕のような言葉の専門家でもないただのド素人に比べてはるかに日本語についてご存知だろうし、常に台詞の一つ一つを吟味しつつシナリオを書かれているんでしょうから、これは意図的に現代語を台詞の中に紛れ込ませているのか?とも思ったのです。

ヒロインのあさ(のモデルである広岡浅子)は近代日本において女性たちの教育にもかかわった人物なので、より現代の女性が感情移入し易いように人物造形した、とも考えられなくはない。

でも、「正反対」って言葉がちゃんとあるんだから*4、わざわざ「まぎゃく」とか言わせなくてもよくね?とは思うんだが。

「真逆(まぎゃく)」についてブログに書いてすでに4年が経とうとしていますが、この言葉の謎(誰が、いつ、どのような経緯で使い始めたのか)はいまだに解かれていないし、この分だと今後も消えて使われなくなることもないでしょう。

いつのまにか僕たちの生活の中に入り込んできた「真逆(まぎゃく)」。

歴史すら修正してしまう恐ろしい新造語だ。


追記:
泉麻人さんもコラムで書かれてましたョ。
<テレビ探偵>「あさ」の真逆にびっくりぽん!サンデー毎日11月8日号

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*1:あさが来た」の舞台は江戸時代末期から大正時代。

*2:サザエや波平も登場人物として出てくる。

*3:といってもキス以外(それも唇は隠れている)具体的な行為は映されない、いわゆる“朝チュン”。

*4:この言葉だって江戸時代にあったのかどうかは知りませんが。