ウィリアム・フリードキン監督、ロイ・シャイダー、ブルーノ・クレメル、フランシスコ・ラバル、アミドゥほか出演の『恐怖の報酬【オリジナル完全版】』を鑑賞。2013年作品(短縮された92分の初公開版は1977年。日本公開は1978年)。
原作はジョルジュ・アルノーの同名小説。
南米はフエゴ島チリ領のポルヴェニール。油井(ゆせい)で爆発事故が起き、巨大な火柱をニトログリセリンの爆風で消すために、四人のわけありの男たちがわずかな衝撃で爆発する大量のニトロをトラック2台に分けて現場に運ぶことになる。
ストーリーの中身について書きますので、未見のかたはご注意ください。
映画のタイトルや、トラックでニトロを運ぶ話なのは知っていましたが、僕はこれまでフリードキンのこの1977年版も1953年のアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督、イヴ・モンタン主演版(77年版はエンドクレジットでクルーゾーに捧げられている)も観ていなくて、今回の映画館での鑑賞で本当に初めてお目にかかることに。
77年に公開された短縮版がオリジナル版を約30分カットしたもので監督としては不本意だったことや、興行的にも成功せず(同じ年に全米で『スター・ウォーズ』が公開されて大ヒットしたことも影響)観客の反応もよくなかったこと、またその後長らく上映されることがなく日本ではDVD化もされていないことなどは知らなかった。
フリードキン監督は雑誌「映画秘宝」に書かれていた『エクソシスト』(1973)撮影時の凶行(前触れなくいきなり出演者の前で発砲したり、主演のエレン・バースティンに大怪我を負わせたりした)について読んでいたので、この映画の撮影現場もさぞや狂っていたんだろうなぁ、と勝手に想像してましたが。
ただ、『エクソシスト』も後年になってディレクターズ・カット版が作られてDVDで観たけど、これ見よがしなサブリミナル映像や“スパイダーウォーク”などの挿入は僕には蛇足にしか感じられなくて、監督自らが望んだヴァージョンが必ずしも完璧だとは限らないよな、と。
『恐怖の報酬』は前述の通り僕はそもそも不完全だった初公開版を観ていないからどこがカットされてたのかわからないんですが、この【オリジナル完全版】は映画ファンの間で話題になっているし、2018年(この映画は年末に観ました)は昔の映画のデジタル・リマスター版を観ることが多くてせっかく貴重な機会なので、その流れに乗っておこうと思いまして。
とても小さなミニシアターでの一日1回の上映ということもあって、場内は満席で補助椅子も出てる状態でしたが、それを見越して少し早めに行ったおかげで観やすい席を確保できました。
大晦日も迫まり、おまけに雪も降るこんな時期に大勢(ほとんど中年以上の世代の人たちばかりだったけど、男女偏りなく来場していた)が詰めかけるということは、それだけその映画が期待されていたりファンも多いということでもある。
昔の映画を鮮明な画質で観る楽しさはこの一年間でずいぶんと味わったから、僕もかなり期待していました。新作映画を観るのとはまた違った興奮を覚える。
まだ映像に視覚効果(VFX)であとからいろいろと手を加えるようになる前の時代の作品なので、すべてが撮影現場で撮られたものだし、当然危険も伴うものであったはずだから、そういうまだ映画が今よりももっと「野蛮」だった頃の作品として独特の魅力を放っている。
冒頭で油井の爆発事故が起こるんだけど、立ち上る炎の激しさに圧倒されるし、全篇を通してリアルな描写の中で人の命があまりに軽く扱われることに恐怖も感じる。
僕はこの作品が撮られた70年代頃の映画をそんなに数多く観てはいないし特別あの時代に強い思い入れはないんですが、怖いもの見たさで好奇心が刺激されるところはある。たまに触れてみたくなる。
主演のロイ・シャイダーをはじめ、出演者たちの“顔”もどこか洗練されていない生々しさに溢れていて、現地で男たちに優しくするのを美女ではなくわざわざああいう顔の年配の女性にしたことなども、敢えてのことなんだろうけどすべてに荒々しさを感じさせるんですね。
ロイ・シャイダーが演じた“ドミンゲス”役は最初はスティーヴ・マックィーンに、他の登場人物もリノ・ヴァンチュラやマルチェロ・マストロヤンニに出演のオファーがされたんだそうで、そちらの面子でもぜひ観たかったですが、僕はロイ・シャイダー以外知らないキャスト(それぞれ有名な人たちだそうですが)ばかりによる完成版には、だからこその得体の知れないリアリティがあったことも確かで。
ただ、ポスターにも使われていた、まるで『デス・レース2000年』(1975)に出ていたような魔物の顔みたいな形のボンネットのトラックが吊り橋を渡るショットは、雨の中で遠近感が掴みにくいこともあって僕は映画を観る前はちょうど『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』のそれのような物凄い高い場所に架けられたものだと思っていたんですが、実際に観てみるとわりと河に近い高さで思いのほか低く、正直そこでかなり肩すかしを食らったというのはある。
ところどころ朽ちて足場の不安定な木製の橋をほんとにトラックで渡っているわけで(トラックの傾き方も尋常ではないし)、ドライヴァーにとっては充分危険だろうけど。
劇中で橋を支えていたロープが切れてトラックがあわや横転、という直前にカットが切り替わる不自然な編集があって、てっきりトラックは河に落ちたのかと思ったらそのあと普通に無事だったんでこれも違和感があったんだけど、あの撮影で本番中に本当にトラックが河に落ちたんだそうで、その裏話を聞くと別の意味で怖くはある^_^;
大きな音を立てて煙を吐きながら吊り橋を渡ろうとするトラックの姿は迫力があったし、そこに何か人間の底知れぬ欲望が宿ってもいるようで、あの場面が見応えあったのは確かです。
トラックが意思を持った怪物のように見える、というのはスピルバーグが71年に撮った『激突!』を思わせるし、その後のスティーヴン・キングの『地獄のデビル・トラック』 などにも影響を与えているのかもしれない。
ちなみに53年版の方は、特撮ヒーロー番組『ウルトラセブン』(1967~68)でウルトラ警備隊が高性能火薬を運ぶエピソード「700キロを突っ走れ!」の元ネタでは?と言われてますね。
ニトロの運搬にたずさわる男たちは偽名を使ったり、それぞれに自分の正体を隠さなければならない事情があって、この国から抜け出すために金と新しい身分証を必要としている。
それにしてもこれはあまりにも割に合わない仕事で、映画の前半で油井の爆発に巻き込まれた現地の人々の大怪我を負った様子や無残な遺体が映し出されているし、湿気のせいで不安定になったニトロがいかにたやすく爆発するかも見せつけられているので、しくじれば四人のドライヴァーたちがどんな目に遭うのか想像ができてしまうだけに、観客もまた常に彼らと同様の恐怖を抱えながらその緊張感溢れる旅を見つめ続けることになる。
彼らがトラックを運転して進むのがジャングルの中ということで、幾度も行く手を阻まれる。
僕はチリについてもフエゴ島やポルヴェニールという土地に関してもまったく知識がないので、これがどこまで現実をそのまま映し出しているものなのかわからないから観ていておっかなくてしょうがなかった。油にまみれてどれだけ命を危険に晒すような仕事を続けても国を出る金すら貯められないし、道すがら当たり前のように銃を持った男たちがトラックを奪おうと出てきたりするし。ほんとに地獄のような場所だな、と。血と土と油と湿気に覆われ、すべてが汚れていて不潔。
フランスで投資家だった“セラーノ”やアメリカでギャングの一味の一人だったドミンゲスたちが自らトラックを手馴れた様子で整備するのが不思議だったんだけど、彼らはこの地に流れ着いてずいぶん経つのだろうか。
この映画の何に戸惑うかというと、細かい説明をせずに描写のみで場面が続くので、ところどころ意味がよくわからない箇所があったり、編集がずいぶんとぶっきらぼうに見えるところ。
あぁ、これが70年代か、とか思ったり。タンジェリン・ドリームの音楽もメジャー映画っぽくないし。
冒頭からしばらくは四人の男たちがポルヴェニールに行き着くまでのいきさつが描かれるのだが、もしも事前にこれが何を描いたどういうジャンルの映画なのか知らずに観たとしたら、途方に暮れたかもしれない。話がどこに向かってるのか皆目わからないので。
ニトロのくだりがあって、その四人が何かに導かれるようにひと所に集結してようやく話の流れが掴める。
南米のジャングルの天気はほんの少しの距離の違いでも変わるのか、それとも単に撮影時の都合によるものなのかわかりませんが、ドミンゲスとシオニストで殺し屋のニーロの乗ったトラックとセラーノとアラヴ系テロリストの一人だった(そのわりには一番よく働かされている)“マルティネス”が乗ったトラックの場面で天候が互いにまったく異なっているのがとても気になった。映画の中で時間が巻き戻ったのかと思ったほど。
だって一方は晴れて明るい陽が射してるのに、吊り橋で立ち往生しているもう一台は大雨に晒されているんだから。
倒れた大木が道をふさぎ、マルティネスのアイディアでニトロを爆発させて見事トラックが通れたその直後にセラーノが運転するトラックがパンクして、その衝撃でトラックは崖から転落、ニトロとともに爆発四散する。この容赦なさ。
あまりのあっけなさに笑ってしまいそうになる。
トラックを奪おうとする男たちとの銃撃戦の末、ニーロが撃たれてやがて絶命。たった独り残ったドミンゲスはトラックがガス欠で立ち往生、ニトロの入った箱を手で抱えて歩いて目的地までたどり着く。
一体どれだけの距離を歩いたんだか。どうやって目的地がわかったのか。
これは本当に地獄めぐりの旅。現実なのか、それともたちの悪い夢なのか。
正直なところ、僕にはこの映画の真の凄さがまだちゃんと理解できてはいないんですが、古くて小さくて失礼ながらちょっと汚くもあるミニシアターで観たこの映画は、真新しいシネコンで観るクリアな映像の最新映画とは明らかに違う魔力を発していて、観る前にはもうちょっと大きな映画館でやればいいのに、と思っていたのが、劇場も込みであらためて「映画を観た」という実感をもたらしてくれたのでした。
マルティネスが吊り橋で足を踏み外すと客席の一人の女性が「あっ」と声を上げて驚いていたり、ニトロで大木を爆破したあとにしばらく無言で立ち尽くす男たちを見て客席の一人の男性が「ダメだったかぁ」と勘違いして独り言を呟いたり、客の反応自体がまるで70年代の劇場のようで(って、僕は知りませんが)、僕だってそこそこイイ年のおっさんにもかかわらずヤバい人たちの中に紛れ込んでるようなドキドキ感があって、「昔の映画館」にタイムスリップしたような錯覚すらした。
この映画が日本で公開されて40年経ち、監督は今も存命中だが四人の主要登場人物を演じた俳優たちはすでに全員亡くなっている。
そういう映画が今、満席の劇場で観られている不思議と映画というものが持つ息の長さに感嘆する。
この4Kデジタル・リマスターによる【オリジナル完全版】の実現までにウィリアム・フリードキンは多大な労力を要したようだけれど、そこまでしても残す必要があったということですね。
いろんなものが盛んに“リヴァイヴァル”しているここ最近ですが、最新の作品と何十年も時を経た作品が同時に公開されて世代を越えて観られて愛され続けていくことは、映画の世界をより豊かにしてくれると思います。
今年もまた古くて新しい数々の素敵な映画に出会いたいものです。
※ウィリアム・フリードキン監督のご冥福をお祈りいたします。23.8.7