映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

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揖斐川町森前


7月9~10日に、岐阜県揖斐郡揖斐川町(いびがわちょう)にある母方の祖父の実家に行ってきました。

といっても、祖父母が住んでいたのは岐阜市内でその家は13年前に祖父が亡くなって何年後かに売却している。

今回行ってきたのは祖父がちょうど今から30年前の1992 (平成4年) に建てた家で、もともと何代前からかは知らないけれど長男の祖父はその土地でずっと子どもの頃から過ごしていた。曾祖母が住んでいた家はもう古くなっていたし、高齢の彼女は僕が物心つく前から介護施設に移っていたので、誰も住んでいないボロ小屋と使われていない土地だけが残っていた。

本当なら結婚してその土地に住みたかったんだろうけど、祖父は転勤族で北は北海道から南は九州まで日本中引っ越ししまくっていて、その頃は単身赴任などという発想はなかったから一家は全員が祖父についてまわっていたし、同じ岐阜出身でも祖母は街なかで育った人だからまわりが山や田んぼばかりの何もない田舎で暮らすのは嫌がって、揖斐川町森前の祖父の実家に住むことはなかった(でも、結局最終的に落ち着いたのは、岐阜市内ではあるものの山に囲まれた辺鄙なところだったのだが)。

だから、かっこよく言えば「別荘」というところだけど、お屋敷だとか豪邸などというようなものではなくて、和室が3つとバス・トイレ・キッチンがある1階と、フローリングの小部屋が2つとトイレがある2階という、特に珍しくもない2階建ての一軒家。

祖父が亡くなったあとも誰が住むわけでもなく、たまに遊びにいく場所として母とその弟である叔父が管理していた。

でも、地元の人には失礼だけど揖斐といえば揖斐茶と夏の暑さが有名なぐらいで、家の前を揖斐川が流れていてその向こうは山しかない森前(だからこういう地名なぐらいで)はあまりに不便な場所だし、管理し続けるのにもお金がかかるのでついに手放すことにした。

幸い、家をそのまま残してそこに住みたい、という人が現われて8月いっぱいで引き渡す予定なので、最後に泊まりにいくことにしたのだった。 曾祖母が昔住んでいた空き家(そちらは何年か前に取り壊した)は僕も幼い頃から休みの日に祖父母と両親に連れられてたまに遊びにいったりはしていたから、その土地自体は懐かしいけれど、祖父が90年代に建てた新しい方の家にはそんなにしょっちゅう行ったり泊まったりはしていないので、家そのものに思い入れはない。

むしろ、僕の母の方が友人を泊めたりしてひと頃はよく利用していたし、彼女はまだ幼い頃から従兄弟たちと一緒にあの場所へ遊びにいっていたということだから想い出もたくさんあると思う。

あのあたりは昔からずっと田舎なままであること、町の通りの菓子屋で曾祖母に駄菓子をよくねだったことなどを話してくれた。そんな母だけど、両親が岐阜出身で親戚の多くも岐阜やその近辺に多く在住しているにもかかわらず、実は彼女自身は岐阜に住んだことは一度もない。

前述の通り、祖父が転勤族だったものだから、その娘である僕の母は転校を繰り返して、ついに岐阜には住むことがないままやがて武蔵美の短大を出て名古屋に就職、そこで結婚した。

だから、母にとっては岐阜や自分の父親の揖斐の実家はたまに遊びにいく「田舎の家」だった。

揖斐川ではもともと天然の鮎が獲れてそれが名物でもあったが、徳山ダム(1983年の映画『ふるさと*1では、このダムに沈む村が舞台になっている)ができてからは水質が落ちて鮎が来なくなって、近くの“川口やな”でも養殖を用いるようになった。

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その川口やなもコロナ禍後、ここ2年ほどは営業していない。

今回は、そこよりもうちょっと奥にある「揖斐川丘苑」という鮎料理の店に行ってきました。鮎の獲れない冬場は鹿や猪のジビエを食べさせてくれるのだとか。玄関に鹿や猪、熊の標本が飾ってあった。


この揖斐川丘苑でも使っているのは養殖の鮎だそうだけど、揖斐川のいけすでしばらく泳がせて体を馴染ませているのだとか(それにどんな意味があるのかはよくわからないが)。秋頃の鮎と違ってまだ若くて小さめの鮎で、とても柔らかい。骨ごと頭の先から尻尾まで全部いける。


7品目ぐらいの鮎尽くしの料理はどれもおいしくて繊細な味付けでした。鮎の天ぷらがおいし過ぎて感激。鮎のお刺身なんて初めて食べたけど、歯ごたえが良くてほんとに旨かった。


まぁ、いいお値段だし今後もそうそう口にする機会はないだろうから、よい経験でしたね。

大雨と激しい雷に祟られてたどり着くまでなかなか大変でしたが、この揖斐川丘苑では食事の前に揖斐川を眺めながらゆったりとお風呂にも入れたし(山の上方を覆う霧がまるで山水画のようで幽玄だった)、祖父の建てた家での最後のお泊まりにはいろんな想いが頭をかすめて感傷的な気分になり、あまり眠れなかった。

僕だけでなく、親や親戚たちの想い出も詰まったこの場所が人手に渡り、おそらくもうニ度と訪れることはないということを噛みしめる。近くに祖父母のお墓があるからそこにお参りにくることはあるだろうけれど、僕の親ももう高齢だし、これからはそんなに頻繁に訪ねることもできないだろうと思う。

2000年に祖母が、2009年に祖父が亡くなった時の喪失感を思い出した。

自分にとって、また一つの時代が確実に終わったのを感じました。


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*1:幼い頃、親だったか祖母だったか忘れてしまったけれど、映画館に連れていってもらって観ました。