映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

※2019年の“はてなダイアリー”終了に伴い、2018年9月にブログを移行しました。

『1999年の夏休み』デジタル・リマスター版


監督:金子修介、出演:宮島依里大寶智子、中野みゆき、水原里絵(深津絵里)、声の出演:高山みなみ佐々木望、村田博美、前田昌明の『1999年の夏休み』デジタル・リマスター版を鑑賞。オリジナル版は1988年公開。

原案は萩尾望都の漫画「トーマの心臓」。

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帰る場所がない直人(中野みゆき 声:村田博美)と和彦(大寶智子 声:佐々木望)、則夫(水原里絵)の3人の少年たちが残った夏休みの全寮制の学院。少し前に彼らと親しかった悠(宮島依里 声:高山みなみ)が崖から湖に飛び降りて行方不明になっていた。しばらくして悠にそっくりな薫(宮島依里 声:高山みなみ 2役)が転校してくる。則夫は彼を悠だと信じるが、薫は自分は別人だと言い張る。やがて悠の死には和彦がかかわっていることがわかってくる。


この映画は僕は88年の最初の劇場公開時には観ていなくて、90年代に(レンタルヴィデオだったか、あるいはTVで深夜に放映されていたのを録画したんだったか忘れましたが)観ました。

公開から30周年を記念してデジタル・リマスター版が公開されるというので、懐かしくて観にいってきました。

といっても僕はこの映画のファンというわけではなくて、あれから観返していないからお話の内容についてはまったく覚えておらず、深津絵里が短髪にして男の子を演じていたことぐらいしか記憶にありませんでいた。


原案となった萩尾望都さんの少女漫画も読んでいません。

なので、今回あらためて映画を観て劇場パンフレットに目を通して自分なりに解釈したり、いろいろ連想したことなどを書いていますから、ファンのかたにすれば的外れなことを言っているかもしれません。あらかじめご了承のうえでお読みください。

ストーリーのネタバレもありますので、これからご覧になるかたはご注意を。


僕は高校時代に演劇部に所属していたんですが、そこではしばしば女の子が大人の男性や少年役を務めていました。

小劇場の演劇でも女優が男を演じることは珍しくない。

だから当時、『1999年の夏休み』の男装の少女たちに何かとても馴染み深いものを感じたんです。

ハッキリいってこの映画に登場する“少年”たちは髪を短くして男装していても男の子には見えないし、彼らの膝に巻かれたガーターベルトみたいなベルトがボンデージっぽくて、だから僕にはこれは「少年を演じる少女たちを愛でる作品」にしか思えない。

映画の作り手も彼女たちを「本物の男の子」に見せようという気は最初からなかったんだろうし。

こう言ってはなんだけど、僕の個人的な感覚からすると、主人公といえる悠/薫役の宮島依里や悠が愛した和彦役の大寶智子は美形とは思えなくて、でも作品の紹介文などでは彼らは「美少年」と表現されているところなども、お約束事が多い演劇とかアイドルの世界に通じるものがある。


少女たちが少年を演じることで人工的で幾分「倒錯」的な、ゆえにそこからこの世ならざる者たちとして“少年たち”は立ち現われてくる。このアングラっぽさも演劇的ではある。

コスプレが盛んで男装の女性が奇異に見られることも以前ほどではなくなった現在では、その「倒錯」性もかなり薄らいでいるとは思うけど。

低予算の作品なので、この映画で描かれる世界をより小さくて狭く感じさせる。

舞台となるのはレトロな洋風の学校の外観と教室や廊下、寝室、そして外部は電車の中や駅、悠が飛び降りた崖とその下に広がる湖ぐらい。あとは薫の実家のアトリエ。これらが交互に映し出される。

とても限られたロケーションで撮影されているのがわかる。

冒頭で教室の喧騒の様子が音声だけで表現されているのもまた舞台劇的。場面転換も省略が多い。

脚本は演劇界で活躍してた岸田理生なので、その台詞廻しなどはいかにもな感じだったし。

この映画はまだ“水原里絵”名義だった深津絵里を除いてあとの三人の出演者たちはアフレコによってプロの声優たちが声をアテている。

そのことは当時から知っていたけど、女優たちの演技自体が最初から演劇風で台詞も芝居がかっているので映像と声に違和感はなくて、言われなければ本人たちが喋っていると思いそう。

大寶智子が演じる和彦の声を担当しているのは男性声優の佐々木望だけど、佐々木さんは中性的な声なのでこれもまったく不自然な感じがしなかった。

佐々木さんによれば、金子監督はほんの少しのリップシンクのズレも許さない厳しい人で、朝から晩までアフレコルームにこもって声を録ったんだとか。

あれだけ台詞の量があるし、それを本人が喋ってるように見せるには大変な作業だっただろうな、と思う。

ただ、これはこの作品が好きなかたがたには大変申し訳ないですが、「残酷」がどーの「自分勝手」がこーのと延々繰り広げられる少年たちのナルシスティックで観念的な内容の問答が結構キツくて、以前観たのに映画の内容を覚えていなかったのも致し方ないな、と思った次第。

登場人物は四人しかおらず、その彼らがお話を回していくんだけど、お話といってもそれは結局誰が誰を好きで、さらに別の一人が嫉妬して…みたいな暇を持て余した仲間内での“じゃれ合い”のようなものだし、その間に少年たちはずっと会話してるだけだから「ディスカッション・ドラマ」みたいで、彼らの台詞は僕の頭にほとんど入ってこなくて途中で眠くなってきた。

ほんとの元・少年(残念ながら“美少年”ではなかったが)から言わせてもらえば、やはりこれは少女漫画の中にしか存在しない「少年たち」だ。

でもそれは最初から予想していたことだから苦痛ではなくて、完全には意識が遠退かない状態で観ているこの映画に高校時代に他校の演劇部の芝居を観ながらウトウトしていた時のことが思い出されて、なんともいえない浮遊感を味わったのでした。

まどろみの中で作り物の少年たちが互いに独り言のようにずーっと会話している、というか、それはまるで独りぼっちの登場人物が四人の少年を演じ分けているかのようでもあった。

僕は、この映画は「永遠に夏に閉じ込められた幽霊たちの物語」なんじゃないかと思ったんですよね。

少女たちが少年を演じている時点で、それは現実から遊離しているし、また声優によるアフレコでさらに非現実性が強まっている。

だって、フィルムに映っているあの少年たちは現実には存在しないのだから。演じている女優たちの声は実際とは異なっているのだし。

あの少年たちはまるでアニメのキャラクターのようだ。おそらくそれは金子監督も大いに意識していたのだろうけれど。

だから彼らはこの世にはいない、幽霊のような存在ではないか。

「幽霊」という呼び方が適切でないなら、「憧れ」といってもいいかもしれない。

僕たちには手の届かない何か。それはもう「憧れ」としか呼びようのないもの。

少年同士の愛が描かれていてもそこに同性愛的な要素は希薄で、また少女同士の百合的なエロティシズムも抑えめだ。

彼ら=彼女らからは性的なものがあらかじめ奪われている。

そこに純粋さも感じる。

思春期に夢見て、でも現実には手に入れることができない、形のない「想い」。

悠の和彦への想いとは、肉体的な欲望ではなくて、僕たち観客がこの映画に感じる想いそのものなんではないか。

和彦の愛を求めて死に続け生まれ変わり続ける悠と、その彼に出会い続ける少年たちの姿には、美しくも狂おしい気持ちが永遠に続く煉獄を思わせる恐ろしさもある。

それは終わりのない永遠の夏の繰り返し。

製作当時に押井守監督が金子監督にコメントした、というようなことがWikipediaに書いてあったけど、確かに、永遠に続く夏、というモティーフは押井監督の『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』や『トワイライトQ 迷宮物件 FILE538』などで描かれたのと共通するものを感じさせる。

だから、時を経てもこの映画が愛され続ける理由はわかる気はします。


コルク製のカレンダーやシンセサイザーの音色などから感じる90年代感。

タイプライターにブラウン管がくっついたようなデザインの謎の機械が示す未来観さえもがどこかレトロで懐かしい。まるで大友克洋の「AKIRA」みたい(映画版『AKIRA』はこの映画と同じ年に公開されている。ちなみに佐々木望は“鉄雄”役だった)。

四月怪談』『櫻の園』『ドグラマグラ』『風の又三郎 ガラスのマント』(これらの作品もぜひデジタル・リマスターで再上映していただけないだろうか)…当時観た何本もの邦画を思い出します。

時代を越えた魅力と、まごうことなきあの時代の空気を感じさせる要素が混在している。

特にあの当時を知る者はそこにアテられるんだろう。

今回、僕が観にいった映画館では初公開当時に青春時代を過ごした40~50代ぐらいの人たちが大勢観にきていたけど、若い人たちがこの作品を観たらどう感じるのかちょっと気になる。

深津絵里は同じ年にJR東海の「クリスマス・エクスプレス」のCMで全国的に顔が知られるようになったし、宮島依里が演じる悠の声を担当した高山みなみはすでに「ミスター味っ子」などで活躍中で翌年にはジブリアニメ『魔女の宅急便』(感想はこちら)でヒロインの声を演じている。

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旬の人たちが集まっていたんですね。

一応、僕もあの当時をリアルタイムで過ごしているので、作品そのものが醸し出すあの時代の匂いに浸れたことはとてもよかったです。

この映画の直前に同じ映画館で『プロヴァンス物語 マルセルの夏』(感想はこちら)を観たんですが、もう何から何までまったく異なる映画ながら、『マルセルの夏』は1990年の作品(日本公開は91年)、そしてこの『1999年の夏休み』は1988年でほぼ同時代。

その何時間かの間、時間がほんとに30年ぐらい戻ったような錯覚に陥りました。劇場がタイムマシンになっていた。それはなかなか快感だったんですよね。

僕は別にもう一度ほんとに30年前に戻りたいとは思いませんが、古いアルバムをめくるようにたまにはこうやってあの頃を思い返してみるのも悪くはないなぁ、と。



時の重みというのはバカにできない。

年を取った僕が今スクリーンの中の永遠に年を取らない少年たちを見つめている。

懐かしい映画たちに時々また再会したいなぁ。


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