映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

もう一つのブログとともに主に映画の感想を書いています。

『プレイタイム』


ジャック・タチ監督・脚本・主演、バーバラ・デネックジャクリーヌ・ル・コンテ出演の『プレイタイム』。1967年作品(日本公開1969年)。フランス映画。

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ジャック・タチ映画祭」で鑑賞。

僕はジャック・タチの映画はこれまで90年代にTVでやってた『ぼくの伯父さん』を観たきり。

あの有名な主題曲はもうスタンダードナンバーですね。

『ぼくの伯父さん』(1958)
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もっとも内容については、子犬たちが出てきたのと魚の形をした噴水、そして主人公のユロ氏(ジャック・タチ)が喋らない、ということぐらいしか覚えていない。

妙に未来的、というかモダンな、今観ると懐かしさも感じる奇妙な作りの家が印象に残っています。

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まぁ、こんな感じで実に心許ないんですが、90年代に意識的にいろんな映画を観て、その中にはさまざまな時代のフランス映画もけっこうあったのだけど(ほとんど忘れてしまったが…)、結局僕には最新のハリウッドの娯楽映画が一番性に合ってることがわかってからはそういうアートな匂いのする作品群は長らくご無沙汰でした。

でもタチの『プレイタイム』は何やら凄いというのはどこかで読んで知っていて、機会があったら観たいと思っていました。

で、今回タチの全作品が公開されるというんで、とりあえず観たかった『プレイタイム』をチョイス。


ジャック・タチの映画って“コメディ”として語られることが多いけど、コメディといわれてすぐに連想するようなたとえばチャップリンの映画みたいな喜劇を想像してるとまるで違う。

身体や物体の動きで笑わせるスラップスティックな要素はあるけど、「ドタバタ喜劇」というほどドタバタしないし爆笑を誘うような激しいギャグが次々と繰り広げられるわけでもない。

というか、ストーリーらしいものがほとんどないんだよね。シチュエーションだけで見せていく。

この『プレイタイム』についてはネットで「まったく笑えなくて2時間が苦痛だった」という感想があって、観終わったあとはその気持ちもちょっとわかる気がしました。

何しろ予告篇を観てもどんな映画かさっぱりわからない。

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音やちょっとした動きをピックアップして観客に提示する、ちょうどコンテンポラリーアートでも観ているような、よーするに「お芸術」な匂いがするのです。

なんだろうな、イギリスの笑いがどこかひねくれてるとしたら、フランスの笑いは気取ってる感じ?

もちろん全部が全部そうじゃないんだろうけど。

僕は今回「ジャック・タチの映画を観に行く」と美術鑑賞でもするつもりでそれなりに意識して臨んだのでまだよかったけれど、何も知らずに普通にコメディだと思って観たら途方に暮れたかもしれない。

いや、意識して観てもかなり呆気にとられましたが。

僕がこの映画に興味を持ったのは、製作費がなんと1093億円)かかってるらしいこと。

ケタを一つ間違えてないか?と。いや、100億円だって相当なのに、その10倍以上って。

こんな桁違いの製作費の映画って、ハリウッドでも聞いたことがないんですが。

なんか中学生が適当に口走ったような金額だし。

まさか撮影のために町一つ作ったのでは…と呆れてたら、この映画に映ってる建物はすべて撮影のために建てられたということを知って「バカじゃないの!?」と(;^_^A

でも観たくなるじゃないですか、1093億円かけた映画ってどんなんだろう、と。

撮影はすべて70ミリ。キューブリックが『2001年宇宙の旅』で使ったサイズです。

たとえば、僕がしばしば例に挙げるフリッツ・ラングの『メトロポリス』(感想はこちら)。

巨大なセットの数々に物凄い人数のエキストラ、現在の目から見てもクオリティの高い特撮技術。

あの映画を観れば映画会社が潰れるのも無理はないだろうな、というぐらいの映像的な説得力があるわけです。

ところが、そのような莫大な予算をかけた文字通りの「超大作」を期待して観ると、これが『プレイタイム』はまったくそういう映画ではないのだ。

なんと「ドリフ大爆笑」のおフランス版なんである。

「もしもこんなオフィスビルがあったら」「もしもこんなアパートがあったら」「もしもこんなレストランがあったら」。

ほんとにドリフのコントのセットで撮れちゃうよーな話を1093億円かけて撮っている。

それを知った上で観てると物凄い狂気を感じましたね^_^;

これにそんな製作費をかける意味がわからないので。

だいたいそんな大金をどうやって工面したのか。

この映画がコケたせいで(当たり前だっ)タチは破産して自分の映画の権利も失なったそうだけど、最終的に製作費を回収できたのだろうか。

クドいけど1093億円なんて製作費は常軌を逸してるし、しかも映像を見てるだけではそんなに金がかかってるとは思えないのだ。

1964年に制作開始。資金が足りなくなって6回の撮影中断の末、67年完成。

出演者全員の振り付けをジャック・タチみずから行ない、また途中で全体の3分の1を撮り直したという。

でもやってることはドリフのコント。

芸術というのは、無意味なこと、無駄なことに金を湯水のごとく使うことなんだろうか、と凡人の僕にはもはや理解のできない世界に突入。

その正気とは思えない多額の製作費はとりあえず措いといて、観ていて感じたのは、ジャック・タチの映画って小津安二郎の映画に似てるな、ということ。

小津安二郎の映画もフランスでは人気が高いようだし。

ユーモアの表出の仕方や構図が非常に人工的で人物をオブジェのように扱うところなんかも、小津とタチはとても近い感性の持ち主だったんじゃないかと。

タチの映画の登場人物たちの動きはしばしばダンスの振り付けを思わせるし、小津の映画の登場人物も台詞廻しや間、その仕草までもが撮影前に細かく指示されていた。

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また小津監督もそのフィルモグラフィの初期にはスラップスティック・コメディを撮っている。

それらは日本的な人情喜劇ではなくて、アメリカ映画などの影響が強い「動き」の面白さを追求した作品だった。

もちろんジャック・タチアメリカのコメディには多大な影響を受けているものとみえて、『ぼくの伯父さん』の成功で渡米した時にもアメリカの往年のコメディアンたちと交流を持っている。

タチが演じる“ユロ氏”の、前につんのめりそうになりながら歩く奇妙な動きやほとんど喋らないサイレント映画風のキャラは、のちのローワン・アトキンソンによる「ミスター・ビーン」に影響を与えている。

ユロ氏は「ミスター・ビーン」のお上品版といったところだろうか。

ちなみにデヴィッド・リンチもタチの影響を受けていて、確かに面白い「動き」に興味を示すという点でもタチとリンチには共通点がある。

タイミングや音響効果、インダストリアルな事物への関心なども。

ジャック・タチが現代美術の観点から評価されることが多いのも、彼の映画がモダンアートそのものだからでしょう。

知ったよーなこと書いてますが、意味はよくわかっていません^_^;

とりあえずなんかオシャレな感じはする。


ポストカード風の「ジャック・タチ映画祭」の劇場パンフも洒落オツ。


外の通りから部屋の中が丸見えなビルやアパートなど、現実には存在しないんだからすべてが映画のために作られたのだということはわかる。


タチの映画でしばしば映しだされる同じ形のビル群などは、昭和30〜40年代頃に作られた集合住宅を思わせもする。

あの当時はああいう建物が「モダン」で未来的だったのね。

で、映画の中に登場するこれらの建築物は先ほど述べたように全部セット。

画面の奥にちょっと見える程度でも合成を使わずにいちいち現物を作るという、神経症的なこだわり。

とはいえ、さすがにすべてを原寸大で作ったのではなくて、遠近法を使ったトリックで小さめのビルを大きく見せている。


ビルのガラス扉にチラッと映るエッフェル塔も、実はパネル製。


それでもかなり大掛かりなセットであることには違いない。

この巨大なセットは“タチ・ヴィル(タチの町)”と呼ばれて撮影後に他の映画への流用や映画学校などで再利用も考えられたが、結局は撮影が中断されている間にタチが短篇『ぼくの伯父さんの授業』を撮ったのみで、『プレイタイム』撮影終了後に取り壊されたという。もったいねぇ!!


なかなか作品の感想になりませんが、だってストーリーとかないんだもん。感想っつってもなぁ。

タチ演じるユロ氏が何やらビルで右往左往する前半と、なぜか開店当日にまだ工事をしているレストランのてんやわんやな夜が描かれる。

最初に言ったように、ドリフのコントみたいなユルい笑いをおフランスのすました俳優さんたちが優雅に繰り広げる。

シャンソンなんかを歌ったりもする。

ほとんど喋らないユロ氏のあの独特の歩き方には正直イラッとさせられるところもあるんだけど、だんだん見慣れてくると、彼の一見まわりに振り回されているようでいてその実かなりマイペースなところなど、愛着も湧いてくる。

世界中にユロ氏のファンがいるのもうなずける。


時々、七三で眼鏡、首からカメラをかけた日本人観光客が登場するんだけど、ハリウッドでしばしば描かれるような醜悪に戯画化された日本人ではなくて、この映画の公開時にほんとにパリにはああいう感じの日本人観光客がいたんだろうな、と思わせる。

またアメリカ人も登場して、これがまた外国なのに遠慮なく自国流を通すとこがいかにもメリケン野郎なんだけど、でもそんな彼も憎めない奴として描かれていて最後はみんなで仲良く酔っ払って解散していく。

タチの映画にはブラックな笑いや皮肉はなくて、思わず顔がほころぶようなタイプの笑いに包まれている。

ロータリーで車がぐるぐる回る様子をまるでメリーゴーラウンドみたいに撮るとか、窓を使って観光バスが上下に動いているように見せるとか、遊び心もいっぱい。

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『ぼくの伯父さん』にもみられた“ボタン”に対する強迫観念的なこだわりも健在。


これを「文明社会への批判」と取る向きもありますが、でもジャック・タチは多分誰よりも機械が好きだったんじゃないかな。

そうでなければ自作の中でこんなに執拗にメカの描写なんかしないと思う。

この人はとにかく、ボタンを押したときのブザーの音とかランプの点滅が好きなのだ。

音とか色の変化に対する興味というのは『プレイタイム』にも随所にみられて、それはどーでもいいようなモノにこだわるミスター・ビーンにも正しく受け継がれているように、世の中にある普段は見過ごしがちな“リズミカル”な事物に異常なまでの関心を示すというのは“子ども”の感性である。

ジャック・タチという作家は、意識と無意識のはざまで子どもの感性をそのまま映像化してみせる。

それがある種の“感度の高い”人々を魅了するのでしょう。


僕個人としては失礼ながらジャック・タチの映画は「なくてもいっこうにかまわないタイプ」の映画ですが、芸術というのは余剰であって、なくたって困らないけどあればより豊かな生活が送れる類いのものだと思うのだ。

僕が観た劇場はスクリーンが小さいミニシアターだったので、せっかく70ミリで撮ったという映像も残念ながらそのスゴさを実感することはできず。

でもお客さんはけっこう入ってて、満席に近かった。

で、そのお客さんたちの中の何人かがこの映画を観てこれみよがしに笑ってるのだ。

そんな笑い声上げるほど可笑しかったか?

なんか「こういう高尚な笑いを私は理解できるんですよ」みたいな嫌味を感じたんだけど、でもまぁ、ガラガラの映画館で独り寂しく観てたら睡魔に堪えられなかったかもしれないところを大勢の人たちと一緒になって“鑑賞”したことで、なかなか得がたい経験ができました。

せっかくなんだから楽しまなきゃね。


すべてが「遊びの時間 (Play Time)」。

遊びの時間には仕事なんてしないで楽しもう。

それにしても贅沢な遊びだなぁ。

映画館から帰る途中の町や電車、歩く人々の様子がまるでタチの映画の続きのようでした。


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