※以下は2009年に書いた感想です。
根岸吉太郎監督、松たか子、浅野忠信主演『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~』。2009年作品。PG12。
第33回モントリオール世界映画祭最優秀監督賞受賞作品。
終戦直後の東京。小説家の大谷は行きつけでツケが溜まっている小料理屋「椿屋」から五千円を盗む。妻の佐知は椿屋の主人と掛け合い、警察沙汰にしない代わりにそこで働くことになる。
しかし、よりによって太宰なんである。観たらウツになるんじゃないかと少々気がかりではあったのだけれど。…などと、ろくに原作読んだこともないくせに言ってますが。
太宰治の小説については不勉強(というより文学全般に対して無知)なので、作品そのものよりも作家本人に付随するイメージやエピソードの方が記憶に残ってたりする。
ナルシスティックで自意識過剰。文壇に認められようと売り込みに必死だった頃のこととか、何度も心中沙汰をおこしては父親や兄の奔走で救われたこと、妻と他の男が寝ようが平気だと言っておきながら、実際にそういう事態になっておおいに取り乱したこと等々…。
あれだけ放蕩三昧で家族や他人様に迷惑かけまくりながらも、自らの手で人生に幕を引くまで世間や文学界から完全に放逐されることがなかったのは当然作家としての才能のおかげだろうし、また女性に対しては見事なヒモぶりだったんだろうなと感心もいたします。
なので、作家本人と作中の登場人物は本来別物なんだけど、ここではあえて区別しないでおきます。
一応ネタバレあり、ということで。
始まってしばらくは登場人物たちの棒読みっぽい台詞廻しに「これは朗読劇か?」と違和感バリバリだったんだけど、だんだん慣れるにしたがってそのリアリズムから微妙に浮き上がった舞台劇のような世界が心地良くなってきました。
夫婦(内縁?)なのに互いによそよそしく敬語を使い合う浅野忠信と松たか子の会話が、なんだかつげ義春の漫画みたいで微笑ましくも奇妙。
…それにしても、松たか子モテモテなんである。
浅野忠信、妻夫木聡、堤真一。みんなから惚れられている。しかも働き始めた小料理屋では客から次々とチップも飛び出す大人気。
“ヴィヨンの妻”佐知を演じる松たか子は、ふとした瞬間に見せるボーッとした無防備な感じなど、時々顔の表情に細やかさが欠けているような気もしたんだけれど…世話になった小料理屋夫婦のことを「あれは馬鹿なんです」と平然と言ってのける夫の浅野忠信は、彼らに感謝し素朴に好感を持っているこの妻のことも同様に「詩や芸術を理解しない凡人」と見ているフシもうかがえて、夫から見たそんな妻の風情がよく出ていたようにも思えます。
意図的な演出なのか、そうじゃなくて偶然の産物なのかはわかりませんが。
ほとんど破綻している日々の生活をやり繰りしながら、夫の仕事の中身にはもはや関心を示すことはない妻。最初からそうだったのか、それとも散々裏切られ続けて興味を失ったのか。
妻が稼いだなけなしの生活費を持ってどこかへ消えるか昼間から酒かっくらってカラんでくるような甲斐性なしの亭主に散々思い知らされている彼女は、夫が書いた詩を他人からいくら褒められてもどこか醒めている。
「僕は生きることにこんなに苦しんでいる」=だから理解しろ、受け入れろとひたすら妻に甘えている夫と、「これからどうやって暮らしていけばいいのだろう」と、あくまで現実的な生活の心配で頭がいっぱいの妻。
もっとも近しい存在でありながらこの絶望的なまでの隔たり。
夫が行きつけの飲み屋から金を盗んだと聞いて思わず笑っちゃったり、警察では「好きな人のためにマフラー盗んで何が悪い」と謝りもせずに居直ったりと、必死に生きているとはいえ時々ちょっとズレた言動もする。
夫に振り回されてひたすら堪え忍ぶ気の毒な女性、良妻賢母、というだけでない、なんというか妙に尻の座りが悪い、なんだか生身の人間の「つかみどころのなさ」を見てるようでした。
浅野が妻夫木に語る、妻が人には見せずにいる部分というのは映画の中でハッキリと描かれることはないんですが。
まぁでも夫だろうと妻だろうと、誰だって互いに知らないことはいっぱいあるでしょ。妻から問われた夫は「あなたの知らないことはつまらないことだけです」なんて言ってるけど、つまらないからって知らずにいて済むことかどうかはわからない。
哀しみや怒りや諦めを胸に秘めつつも、すべてを受け入れて許してくれるこんな菩薩みたいな妻がいたら夫にとっては実に都合が良いが、さて現代の女性がどう感じるのか聞いてみたい気はする。これはちょっと女の子と観に行ってみたかったなと。
ちなみに映画では妻夫木演じる工員は純情な青年で、あこがれの作家の妻に「お、奥さん!」と迫りながらも拒まれて思いとどまるのだが、原作ではもっと粗野な感じの男で自分から家に押しかけていって無理矢理ヤッちゃうんである。なんかエロ漫画かAVみたいな展開。
また、佐知が「人非人でもいいじゃないの」と言う時のニュアンスも原作と映画では微妙に異なっている気がした。
映画は映画として、美しい「作品」になり得ていたと思いますが。
普段は酒を飲まないという浅野忠信の酔っ払い演技がユーモラス。ブッキーの困った顔も含めて、ちょっとしたコント観てるみたいでした。
愛人役の広末涼子は濡れ場(あえてこう表現)にも挑んで――って別に何もブツは拝めませんが――なかなか素敵。
浅野の「妄想するんだよ」という台詞の通り、直接描かれない登場人物たちの心の中や関係をあれこれ「妄想」して愉しめる作品だったと思います。
現代ではなく終戦直後が舞台の「時代物」だったおかげで、退屈でただの下世話な話になるのを免れていたのかも。
ところで、佐知が口紅を買う街の女が言う“ヤンキー”のアクセントは、あれでいいのだろうか。あれだとアメリカ兵のことじゃなくて、女物のサンダル履いてウンコ座りしてる人たちのことになっちゃわないか?
それにしても、世の中の多くのまっとうに働いてる人たちは、この映画観てどう思うんだろうか。ちょっとうらやましいな〜、などと思ってしまった自分こそ人非人であろうか。
ビールに日本酒、ウヰスキー。無性に酒が呑みたくなったのであった。
文學ト云フ事(1994)
「人間失格」 映画と関係ないけど懐かしかったので。放映当時、毎週観てました。
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- 作者:治, 太宰
- 発売日: 1950/12/22
- メディア: 文庫