※以下は、2010年に書いた感想です。
本作品で深津絵里が第34回モントリオール世界映画祭最優秀女優賞を受賞。
出会い系サイトで知り合った若い男女が逃避行する。
舞台は佐賀と長崎。
予告篇ですでにことの顛末はほとんどわかる。
一人の若い女性の死。
僕がこの映画に興味を持ったのは、何よりもまず満島ひかりが出演してるから。
なので、被害者の女性を演じる満島ひかりはおそらく出演時間はそんなに長くないんだろうと予想していた。
妻夫木と深津は三谷幸喜の『ザ・マジックアワー』でもカップルを演じているし、ブッキーは李監督の『69』でも主演してて、井川遥の胸を見てギンギンになっていた。
『69』(2004) 出演:安藤政信 金井勇太 太田莉菜
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『69』では見たくもないのに野郎の脱糞シーンがスローモーションで映しだされていたっけ。あれヒドかったなぁ^_^;
あと、なぜか「夜明けのスキャット」が流れてた。映画の内容全然憶えてないけど。
あの映画とそのあとの『フラガール』が同じ監督の作品とはとても思えなくて。
それとモントリオール映画祭では根岸吉太郎監督が監督賞を受賞した『ヴィヨンの妻』にも妻夫木さんは出てますね。あちらでもすでにおなじみの俳優さんになってるんだろうか。
一方、深津絵里を初めて映画で見たのは20年以上も前の金子修介監督の『1999年の夏休み』。
出演者の少女たちが少年を演じてた。深津さんはその中の一人で、たしか他の子たちはみんな声優が声を吹き替えてたのに彼女だけは本人の声だったと記憶している。
髪を短くして半ズボン穿いてたけど、膝小僧が丸っこくて太腿もムチムチしててどう見ても少年には見えなかった。可愛かったけど。
金子監督は“少年”よりも断然“少女”に興味がある人だから(クリエイターとして、です)、その辺はあまりこだわってないんだろーな、と思った。
深津さんがその後売れっ子女優としてずっと活躍してらっしゃるのはもちろん知ってますが、こんなこと言ったら大変失礼だけど、正直その魅力がよくわからなくて。
いや、綺麗だしきっと素敵なかたなんでしょうが、たとえば先ほどの『ザ・マジックアワー』でコケティッシュであるべき役柄なのに全然色気が感じられなかったり、『踊る大捜査線3』では投げやりみたいな台詞廻しに怒りすらおぼえたんで(撮影順は『悪人』の方が先)。
もちろん、それは本人のせいというよりも演出の問題なんですが。
だからこの映画で、この人気女優さんの凄さが少しでもわかればいいなぁ、と。
そんなわけで、以下ネタバレあり。
「大切な人がいない者が多すぎる」。
柄本明が演じる被害者女性の父親が見知らぬ若者に語ってみせる台詞には、たしかに心に訴えかけるものがある。
自分には失うものなどないと思って他の人々を見下して笑っているような人間への怒りと憐れみ、それは激しく伝わったてきたし、まるで自分に言われているような痛みも感じた。
岡田将生が演じるイケメン大学生の軽~いノリの鬼畜ぶりも見事。
樹木希林が演じる妻夫木の祖母の姿と「一生懸命生きてきたのに、どうしてこんな目に」という彼女の搾りだすような言葉にはたまらない気持ちになる。
しかし、…全体的にどうもピンとこないのだった。
そもそも『悪人』というタイトルからして、この映画に相応しいのかどうか。
英題は“Villain ヴィラン”だけど、ヴィランってのはまさに「悪人」とか「悪党」のことで、よくアメコミ映画などに登場する悪役のこともこう呼ぶ。文字通り悪者のことである。
でもこの作品って、誰が“悪人”か、とか主人公は“悪”かどうかとか、…そういう話だったか?
なんか描かれてるすべての要素が本質からズレてるような気がしたのは僕だけなんだろうか。
深津さんが健気な女性を熱演して、それが海外の映画祭で評価されたことは素晴らしいと思うし、その栄誉にケチをつけるつもりはないんですが、それでも勝手な贔屓目ではなくて、演技を評価されるならそれはむしろ満島ひかりなんじゃないかと思った。
満島さんの、岡田将生じゃなくてもイラッとさせられるあの演技、アホな観客なら「殺されて当然」などと言いだしそうな、「共感はできないけど、こういう子は居そう」と感じさせる人物造形はほんとに巧かった。
たしかにこの女性の心象風景は謎のままだ。彼女がどうしてあれほどまで男性に対して「軽く」なってしまったのかはわからない。
しかし、わからないといえば深津絵里演じる光代の方がもっとわからないんである。
なぜ彼女があんな行動に走ったのか、その動機が一番謎。
彼女がなぜあれほど心に孤独と哀しみを抱えているのか、どうやらそうらしい、という雰囲気だけで具体的な描写がないので(県道だか国道だかからほとんど離れたことがない、と本人の口から説明されるだけ。それは“描写”ではない)、なんで出会い系サイトで知り合ってその日初めて会ったばかりの男にまるで昔からの知り合いのように親しげに語りかけたり、突然求められてラブホに直行したり(しかもいきなり“バック”からかいっ!と)、その相手が殺人犯だと知って逃げようともせずに身内のように親身になって慟哭できるのか全然理由がわかんないのだ。
なぜそこまであの男に入れ込むのか。光代の妹でなくても理解しがたい。
九州の女性は情が深い、とかそういうこと?…ではないでしょう。
妹には彼氏がいるのに自分にはいない、という事情だけで彼女のその後の行動に共感するのは難しい。
どこかイノセントな少年っぽい雰囲気を漂わせた妻夫木聡に惹かれる、というのはわかんなくもないが、しかし映画の中では彼が演じる祐一は満島ひかりから「つまんない男」呼ばわりされて邪険にされるほど退屈極まりない奴なんである。
しかも車の運転が異常に乱暴だし(私見だけど、普段おとなしいのに車の運転が乱暴な男は要注意です)、思い立ったら連絡も入れずにいきなり仕事中の相手に会いに行く。
なんか「身勝手」の典型みたいな男。しかも本人にはそんな自覚は欠けらもない。
この映画の中で、彼の利己的な性格はどこか「不器用さ」と混同されてるふしさえある。
光代がともに逃げよう、と決意するほどの魅力をどうしても彼から感じとることができなかった。
だいたい、どうしていつもあんな重苦しい表情してんのか。
家族の面倒をみながら働いてる若者は世の中に大勢いるし、彼だけが他の人たちよりも特別苛酷な生活を送っているようには見えない。
そして彼の行動の意味もよくわからない。
光代を一緒に連れて行ったり別れようとしたり、警察に自首しようとしたりやめたり、なんかすべていきあたりばったりで、けっきょく何も考えてないんじゃないかと思わせられる。
一体何がしたいんだコイツは。
そのわりに“精力”の方はやたら旺盛(それだけは満島ひかりからも褒められる)だったりして。
なんかこの映画を観るかぎりでは、幼い頃に母親に捨てられたのがすべての元凶みたいにも感じられるけど、でも作り手は別にそういうことを強調したいわけじゃないでしょう。
特殊な生い立ちだから人は不幸になるわけでも人を殺すわけでもない。
ちょっと信じがたいことだが、観てる途中でこの妻夫木と深津の逃避行カップルへの関心が自分の中でどんどん薄れていくのを感じたのだった。
とにかく退屈なんである。彼らのシーンだけすっごく間延びしている。
ベッドシーンが何度も出てくるけど、なんかこっぱずかしくて。
深津絵里の骨張った身体が痛々しかった。
そしてあれだけ大騒ぎになっていながら、すべてが終わったあと、まるで何事もなかったかのように以前の職場に復帰。
そういうことって、特にまわりの目を気にする地方都市で可能なんだろうか。
犯罪をおかしたわけじゃないけれど、彼女はただの人質だったんじゃないんだから。
「あの人は悪人なんですよね…」って何それ。他人事みたいに。
…なんかね、やっぱりよくわかんなかったです。
この映画の公開中に樹木希林が「徹子の部屋」にゲストで出ていて、「騙す人よりも騙される人の中にもそれを誘発する“悪”があるような気がする」みたいなことを語っていたけど、これまたおっしゃってることがよく理解できなかった。あたしの頭が悪過ぎるからかい?
「悪人」というのは、もしかしたら「頭が悪い人」のことなんではないか、と半ば本気でそう思ってしまった。
たしかに人間は、あとあと「あの時ああすればよかったのに」とか「なぜあんな愚かな選択をしてしまったんだろう」と後悔するようなことがたくさんある。
あり過ぎて俺だってブッキーみたいに車のハンドルに頭をガンガンぶつけたくなるよ。
どんな行動にも責任が伴う。
自分が衝動的におこした行動が、家族やまわりの人間、時にまったく無関係な人々にも多大な迷惑を及ぼすことがある。
そういうことを描いてるんじゃないのか、この映画は。
光代の妹が姉に電話口で最後に言った言葉がそれをよくあらわしている。「みんながどれだけ迷惑してると思ってるの!?」って。
的外れだろうとなんだろうと、ひとまずそう解釈することにした。
もしも祐一が「悪人」なんだったら、それは他者を思いやる気持ちの欠如と「自分には傷つけてはならない大切な人たちがいるのだ」ということをちゃんと理解してなかった頭の悪さゆえだ。
そして当然それは別に彼に限ったことでないのはいうまでもない。
※樹木希林さんのご冥福をお祈りいたします。18.9.15
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*1:長崎出身の知人は「光代の行動は理解できる」といっていたが。