映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

もう一つのブログとともに主に映画の感想を書いています。

『ザ・ファイター』


※以下は、2011年に書いた感想に一部加筆したものです。


デヴィッド・O・ラッセル監督、マーク・ウォールバーグ主演『ザ・ファイター』。

2010年作品。日本公開2011年。PG12

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1990年代初め頃。ボクサーのミッキー(マーク・ウォールバーグ)は、マネージャーを務める母親(メリッサ・レオ)や彼のセコンドで元ボクサーの兄ディッキー(クリスチャン・ベイル)、そして姉たちとともにマサチューセッツ州ローウェルに住んでいる。

兄のディッキーは“ローウェルの誇り”と讃えられた街の英雄だったが今では薬物に溺れ、弟のために金を工面しようと犯罪に手を染めるまでに落ちぶれていた。

一方、バーで働くシャーリーン(エイミー・アダムス)と出会い、付き合い始めたミッキーは、反目し合うシャーリーンと母親をはじめとする自分の家族たちとの間で板ばさみになりながら、ボクシングに打ち込んでゆく。

以下、ネタバレあり。


実在のボクサー兄弟の実話を基にした映画。

この映画で主人公の兄ディッキーを演じたクリスチャン・ベイルが第83回アカデミー賞助演男優賞を、母親役のメリッサ・レオ助演女優賞を受賞。

とにかくまず、映画を観てるあいだ中、クリスチャン・ベイルの後頭部が気になってしょうがなかった。なんか田代マーシーみたいなことになってましたが(;^_^A

アンタッチャブル』のときのデ・ニーロみたいにほんとに毛を抜いたんだろうか。特殊メイクかもしんないけど、この人ならやりかねないんでちょっとコワい。

ちなみにこの映画ではベイルが兄を演じているけど、実際は弟役のマーク・ウォールバーグの方が2つほど年上。


たしかにベイルのなりきりぶりはあいかわらず凄かったが、個人的にこの映画で最も印象に残ったのは主人公の母親を演じたメリッサ・レオの演技とその存在感。

最初の登場シーンから見事に観る者の気分を逆撫でする「やり手ババァ」ぶりを見せつけてくれる。


加えてこれまた「どっから連れてきたんだ」という感じのステキなご面相のミッキーの姉たち。

互いに父親が違っているので苗字も別だが、大勢で同居しているようだ。

いつも家族やおなじみのメンバーで連れ立っては賑やかに呑み歌い、気に入らない奴の悪口いってるこのオバチャンたち、いっちゃ悪いがどう見ても教育水準が高いとはいえない彼女たちの描写は実にリアルで不愉快で、そして素晴らしかった。

メリッサ・レオ演じる母親なんて、まるで『千と千尋の神隠し』の湯婆婆みたい。

実の娘に「あたしに楯突く気なら貸した金返しな」とかいってるし。

この母親と姉たちは、「シンデレラ」の意地悪な母親と姉たちよろしく、ことあるごとに主人公の足を引っ張り、彼の恋人シャーリーンを邪魔者扱いする。


この映画で唯一の“綺麗どころ”シャーリーン役は、ディズニー映画『魔法にかけられて』(感想はこちら)で動物たちと無邪気に歌って踊るお姫様を演じていたエイミー・アダムス

公開当時観たときは意外なキャスティングだったが、おへそを出したちょっとぽってりお腹がセクシーで、ミッキーの“醜い”姉たちから「アバズレ」「尻軽女」呼ばわりされるヒロインを下着姿も披露しつつ好演。

最初にバーでミッキーと話すシーンで、この人の眼がときどきどこも見ていないまるでガラス製のように見える一瞬があって、見入ってしまった。

『悪人』の妻夫木聡やTVドラマ「科捜研の女」シリーズの沢口靖子が同じように「魂がない眼」をしてたなw

『魔法に〜』でのエイミー・アダムスのプロフェッショナリズムと若干の白々しさを含んだ“おとぎ話風演技”の印象がいまだに強く残っているからこそ、この映画でのどこか「自分の人生はもう終わってる」と感じているシャーリーンの風情に、またしても“女優”という存在の不思議さとカッコ良さを痛感したのだった。

ちょっとナオミ・ワッツの路線を狙ってるのかな、なんて思ったりして。


ミッキーはデートでシャーリーンとスペイン映画『ベル・エポック』を観るが爆睡。このシーンは笑った。

Belle Epoqueという綴りが読めなくて「エポキュ?」とかいってるし

「友だちがこの映画薦めたの?セックスシーンもないし退屈だった」というシャーリーン。

気取ってほんとは興味ないヨーロッパ映画なんかに誘うからこうなる^_^;

しかし『ベル・エポック』の作り手はいい迷惑だな。


この『ザ・ファイター』には個人的にとても共感する部分と、でもこういうのはイヤだ、自分だったら耐えられないと思う部分の両方が存在する。

僕はミッキーの家族の生活ぶりやその立ち居振る舞いなどが自分が慣れ親しんできた環境とあまりに違うために、はじまってしばらくはなかなか映画に入り込めなかった。

なんだか『パッチギ2』の在日コリアン一家のようにしょっちゅう家族や近所の仲間と群れてて、何かといえば騒ぎを起こす彼らに感情移入するのがきわめて難しかったのだ。

身勝手な母親や姉たちも、応援したり突き放したり態度がコロコロ変わる街の住民たちの態度も、どれもこれもけっきょく自分たちの都合でしかものを見ていないように感じられた。


でも次第に、そんな彼らでも求めているものは自分とさほど変わらないんだということに気づく。

中盤以降、母親と姉たちは一時完全に「悪役」のように描かれることになるが、この映画の中での彼女たちのポジションはけっこう揺れてて、一概に「クズ」と言い切れないような微妙なキャラクターたちである。

ミッキーは自分を利用してるようにしか見えないそんな彼女たちと完全に縁を切ることができない。

その優柔不断さにはハッキリいってかなりイラつかされもするのだが、しかし彼の「なんでみんなで一緒にやっていけないんだ」という言葉には、とても強い意志を感じる。

だって家族だから。大切な存在だから。

だからそんなファミリーを「劣悪な家庭環境」などといわれたら、きっとミッキーは「オレの家族を悪くいうな」と怒るだろう。

ボクシング映画であると同時に、これもまた「家族」の映画だったということだ。


車の中でディッキーが歌を歌い、泣いていた母親がやがて一緒に歌いだす場面は胸に沁みる。

母は子どもを彼女なりのやり方で愛し、子どもはなんだかんだいいつつそんな母親を慕い、やはり愛している。

ときに依存し合い、ときにいさかいをおこす。

そしてそのあとには和解が待っている。


まぁ、試合に勝ててよかったよね。

負けてたらあんなふうに「メデタシメデタシ」とはならなかっただろう。

兄の夢、そして家族の夢だった勝利。

一度は「戦うのは兄貴や母さんじゃなくて俺だ」といって彼らを拒んだミッキーだったが、皆の夢を自分の夢にかえて彼はたたかった。

優柔不断に見えたミッキーは、それでも勝負に「強い」男だったのだ。

家族だけでなく、街の人々の期待も一身に背負うということ。

想像もできないが、現実にそうやって今日もたたかっている人たちがいる。

理解したり受け入れることは難しくても、嫌いな奴を好きにはなれなくても、最低限、人の人生に敬意を示すことはできる。

ファイターとは、もちろん人生においてたたかい続ける者のことでもある。

闘わねばなぁ。


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