映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

もう一つのブログとともに主に映画の感想を書いています。

『桐島、部活やめるってよ』


吉田大八監督、神木隆之介橋本愛東出昌大大後寿々花太賀山本美月、落合モトキ、前野朋哉浅香航大、清水くるみ、鈴木伸之松岡茉優高橋周平岩井秀人ほか出演の『桐島、部活やめるってよ』。2012年作品。

原作は朝井リョウの同名小説。

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高橋優 - 陽はまた昇る
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とある高校。バレー部のエース的存在だった“桐島”が部活をやめて学校に姿をみせなくなる。桐島とつきあっている梨紗(山本美月)、桐島の親友の宏樹(東出昌大)やおなじ部活の仲間たちは動揺する。彼らとは関係のない立場だった映画部の前田(神木隆之介)は部員たちとともに映画作りに励んでいたが、やがて“不在の英雄”を媒介としてそれぞれの想いが交錯していく。


昨年劇場で公開されたときに観逃して、何ヵ月も待ってようやくDVDがレンタル開始になったので借りてきました。

すでにあらすじのようなものは知っていて、この作品について語られた文章などにも目を通していました。

映画観てないのにライムスター宇多丸さんのハスリングも聴いたし。

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放課後ポッドキャスト 12/09/15
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評判を聞けば聞くほど自分が好きそうな作品におもえて期待もMAXに。

僕は「映画部」には所属していなかったけれど、映画は高校のときから意識して観はじめたのでなんとなく通じるものもあって。


けっきょく『桐島』を観られなかったものだから、吉田大八監督の過去作をDVDでほぼすべて観てしまった(『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』の感想はこちら。『クヒオ大佐』の感想はこちら。『パーマネント野ばら』の感想はこちら)。

で、ついに待ちに待った『桐島』を観られたわけだけど、結論からいうと…いやぁ、映画館で観られなかったことを悔やんだね。

もし観てたら、昨年のマイ映画ランキングの順位は大幅に変わっていただろうな。

そして、こういう映画がクチコミで評判になったことをほんとうに嬉しく思う。

みんな、大々的に宣伝されなくたってやっぱりほんとにグッとくる映画はわかるんだよね(いや、TVでも普通に宣伝してたけど、僕が観ようとしたときには終わってたんで)。


文中、ところどころ映画とは無関係な僕の「想い出語り」が入るんでウザいでしょうが、この映画は誰もがみずからの高校時代を思いかえさずにはいられないような作りだから、そこんとこはご容赦を。

以下、ネタバレあり。


それにしても、吉田大八という監督さんはこれまで撮った映画がどれもそれぞれまったくといっていいほどタイプが違っていて、とてもおなじ人の作品とは思えない。

つくづく不思議な作風の監督だと思う。

この『桐島』も、過去作のどれとも似ていない。

宇多丸師匠もいってたように、これは学校のなかでのヒエラルキーを描いた話であると同時に、世のなかすべての人間のカリカチュアでもある。

もてる者ともたざる者、イケてる奴とそうじゃない奴。軽薄と熱血。部活やってる奴と帰宅部。セックスしまくってる奴と童貞。

現代日本版「ゴドーを待ちながら」よろしく、ここで万能の神のごとき“桐島”はけっして姿をみせることはなく(2シーンほどで彼らしき男子生徒の姿が映るが)、彼の不在によって影響をうける者、そんなこととはなんの関係もなくこれまでどおりに日々を過ごす者など、その立ち位置の違いによって反応もさまざまである。


僕はこれ、ものすごく深い映画だと思った。

でも、予備知識なしにいきなり観たら、もしかしたらポカ~ンとしてたかも。

たとえば、桐島の親友で野球部だがいまはほとんど帰宅部と化している宏樹がクライマックスのあとに映画作りに没頭してる前田の前でみせた涙の意味や彼が感じたであろう「むなしさ」を、僕はなんの解説もなく理解できたかどうかは自信がない。

宇多丸さんや中森明夫さんの解説があったからこそ、僕はこの映画の面白さに気づけたんじゃないかとも思う。

一方で、中学、高校時代になんの思い入れもない人にとっては(ルサンチマンさえ感じない人とか)、この映画は退屈きわまりない作品かもしれない。

高校生たちが、姿がみえない同学年のスターのことで右往左往してるだけだから。

どうやらあまりピンとこなかった人もいるようなので、ハマる人とそうでない人とでけっこうハッキリ分かれるみたいですね。



映画部の部長・前田は、父親から譲りうけた8ミリカメラを愛用している。

ここでいう8ミリカメラというのはヴィデオではなく、フィルムで撮影するアマチュア映画用のキャメラのこと。

僕もかつては祖父からもらった8ミリカメラで自主映画作りをはじめたので、「画面がきたない」とかいわれながらも「うるせーよ」と笑いながらキャメラを廻しつづける前田の姿にちょっと胸が熱くなった。

残念ながら8ミリフィルムの国内での生産はすでに終了してしまいましたが。

この映画に登場する「映画部」については、高校時代、演劇部で好きだった女の先輩にさそわれて他校の人たちの撮る自主映画に出演して、ゾンビ映画ではないけれど、キモヲタっぽい監督さんになんか「口のなかに割れたガラスの破片を入れられて殴打されて血ヘドを吐く役」を仰せつかって自前の服を血のりで汚してまで熱演したにもかかわらず、けっきょくそれから連絡もなく完成した映画を見せてもらえずじまいだったことを思いだした。

まぁ、僕もその後、友人たちにおなじような仕打ちをしてるからエラソーなこといえないんですが。

『桐島』を観ながら、俺は当然ながらあの「イケてる組」の連中でもなければ「映画秘宝」を愛読している神木隆之介演じる前田でもなく、「昨日、満島ひかりに会う夢をみた」とか「昨日『スクリーム3』最後まで観ちゃった。でもやっぱあれ『2』の方が面白いよね」とかいって絶妙なタイミングで教室に入ってくる、あのナイスな「おーまたー」の友人(前野朋哉)ですらない、ゾンビのメイクして前田に指示されてるその他大勢の映画部部員の一人とかなんだろうな、なんて思ってちょっとせつなくなってきた。

まぁ、主要登場人物以外のクラスメイトや部員たちが空気なのは意図的なんだろうけど。

それでもたしかにそれぞれのキャラクターたちにはどこか感情移入してしまう部分はあって、大後寿々花が演じる吹奏楽部の部長が校舎の屋上でおなじクラスのイケメン男子の宏樹の気を引くためにサックスを演奏するとこ(そしてその彼のキスシーンを目撃する)とか、前田がおなじ中学出身の橋本愛演じる同級生と学外で鉢合わせしてつかのま楽しいひとときを過ごしたり、女子たちのめんどくさい関係を見て男子が当惑するとことか、部活の予算の話とか、もういちいちわかる。


ただ、あの吹奏楽部の部長に対しては、僕は映画部の連中の視点で観てたこともあって、なにかといえば撮影の邪魔になるとこでサックス吹いてる、それもイケメン男子が見えるところでこれみよがしに自己アピールしてたりけっこうイラッとしたんですが。ちょっとコワかったし。


教室では無口で友だちらしい人もいないんだけど部活では部長、というポジション、しかも個人的な想いを満足させるためには頼まれても場所はぜったいに譲らないとか、なかなか苛立たせてくれるキャラでした。

ああいう人いたもんなー。


この映画はしばしばアメリカ映画で“スクールカースト”を描いた「ダメ男系」の作品群とならべて語られてもいるようだが、それでも日本の学校はまだアメリカほどに階級化されてはいないと思う(って知らねーけど)。

体罰やいじめの問題が取り沙汰される昨今、もしかしたらこの映画で描かれたような学校だけでなく(僕が通ってた高校はこの学校の雰囲気に近いんですが)、もっとずっと生徒たちの精神年齢が低い学校もあるのかもしれない。

僕はニュースなどで目にするたびに、「高校でいじめ」とか信じられないんですけどね。中坊かよ、と。

ともかく、とりあえずどこかに自分の居場所さえみつけられれば、ブサイクだろうと成績や運動神経が悪かろうと、それなりにサヴァイヴしてゆくことも可能なんではないだろうか。最終的には学校を辞めるという選択肢もあるんだし。

学校なんてのはたかだか3年通うだけなんで、そのあとの人生の長さにくらべたらそこでのツラさなんて屁みたいなもんですから。

教室や体育館や屋上で怒鳴りまくるバレー部の“ゴリラ”や、大後寿々花が演じる吹奏楽部の部長を勝手に哀れがるヤリチン幻想野郎とか、あーああいうのいたいたと思ったり、クラスのナンバーワン女子の気まぐれでまわりに気を遣わせる女王様ぶりとか、橋本愛が演じるバドミントン部女子の、一見外ヅラがよさそうでいてじつは適当にあしらってる感じとか、女子怖えー、って感じだったけど、それでも学校内でのほんとにシャレにならないような部分は描かれていないので、観ていて殺意をおぼえるほどではない。


さて、タイトルにもなっている“桐島”がいなくなる、というのはどういうことなのか。

“桐島”がいなくなった途端にバレー部の女子マネージャーは職員室で声を上げて泣き、部員たちは取り乱す。

彼とつきあってるクラスのナンバーワン女子や帰宅部の友人たちでさえ、動揺をかくせない。

“桐島”一人の不在が、ここまで大勢の者たちに影響をおよぼす。

“学校”という場所。仲間や友人、恋人。

すべてが“桐島”という存在によって成り立っていた。

彼がいなくなったら、宏樹たちを支えていたものはもろくも瓦解する。


物語を額面通り受け取ると非常に奇妙な話だ。

だって親友やカノジョなんだったら、どうして彼らは真相を知ろうと桐島の家を訪ねないのか。なぜか誰も直接桐島に会いにいこうとしない。

だからこれは単にイケメンのスポーツマンが部活をやめてみんな大騒ぎ、というだけの話ではなくて、高校生活という具体的な場所・期間を描きながらもけっこう寓話性の高い映画である。

リアルに感じられる描写もあるけれど、それでもこれは高校生をただ写実的に描いただけの映画ではないのだ。

ここには、人はなにによって生きているのか、生かされているのか、という哲学的な問いがある。

この残酷で無慈悲な世界で生きていくというのは、どういうことなのか。

ベケットの戯曲「ゴドーを待ちながら」でけっして姿をあらわさないゴドーとは「神」の比喩だが(って読んでないけど)、“桐島”もまた彼を頼りにしていた者たちの前から忽然と姿を消す。

くるはずだった「進路指導室」にも彼の姿はない。

「神」の不在に人々はうろたえ、いらだち、そしてひたすらその再来を待つ。


しかし、約一名、主要キャラクターたちのなかで“桐島”という名の「神」に従属していない人物がいる。

それが前田だ。


体育の授業ではサッカーボールを空振りして女子たちから「だっさ」と笑われ、ゾンビ映画を撮ってると吹奏楽部の女子から「…遊びですか?」と見下されたり、ほかの女の子たちからもキモがられる。

たまたま映画館で出くわした同級生の女子にはおなじ中学出身のよしみで相手をしてもらえるが、けっして恋愛対象とはみなされない。

そんな一見冴えない前田だが、しかしある意味ヘナチョコ文化部草食系男子の理想の姿ではある。

いざというときには自分の意見を言葉や態度でちゃんと示すことができる。

友人や部活の後輩たちにも部長、そして“映画監督”としてちゃんと采配できる。

演じてる神木君はぜったいモテてますよ。顔や走り方だってカワイイし(^ε^)

ヲタクのなかにだってヒエラルキーはあるのだ。

女の子たちに笑われて「俺が映画監督だったらぜったいにあいつらは使わないね。せいぜい笑ってろ」と吐き捨てる友人にはげしく感情移入。

体育の授業で大儀そうに座り込んでて、イケてる連中から「曙」と呼ばれてたデブ君とかさぁ…(;^_^A


これまで書いてきたように僕は完全「イケメンじゃない帰宅部」体質なんだけど、じっさいには中高ともに部活組だったんで、いろいろと感じ入るところはありました。

中学は陸上部だったけど、高校では演劇部に入部。

『桐島』で映画部が剣道部の部室のなかに間借りしてる様子とかなんだか身につまされたし、あの部室のゴチャゴチャした感じとか、とってもなつかしかった。

体育館で発声練習してたら、バレー部の顧問に「うるせぇ!!!」って怒鳴られたりしたっけ。

芸術活動の価値が理解できない体育会系の脳ミソ筋肉野郎どもは死滅しろ、と思った。

ま、もう高校生の2倍以上の年月を生きてしまうと、教室や部室で流した汗や涙、登下校時やクラスでの悲喜こもごもなども、それらすべてがもはや愛おしく感じられたりもしますが。


僕が通ってた高校は高校野球に力を入れてたんで、スポーツ推薦で入ってきたイガグリ頭のガニ股の野球部部員たちが威張ってて、そのせいで野球が大っきらいになったし、高校野球のファンのかたがたには申し訳ないけど、現実の高校球児なんてのは、どいつもこいつも自分たちを中心に学校がまわってると信じ込んでるクソ野郎ばっかだといまでも思う(※個人の意見です)。

現実には「部活もしてセックスしまくりの奴」だっているんだしさ。

でもこの映画で、3年の夏を過ぎても引退しないキャプテン(高橋周平)の姿にはやっぱりちょっとグッとくるものがあった。

あのキャプテンは、ただひたすら自分が好きなものに邁進する者の姿を象徴していた。


スポーツ万能で「できる奴はなんでもできて、できない奴はなんにもできない、ってことだろ」といっていた宏樹は、以前は眼中になかった野球部のキャプテンや前田の姿を見て、自分自身の空虚さを思い知る。

自分には彼らのように真に「好き」といえるものがない。夢中になって打ち込めるものがない。

僕はイケメン組じゃないけど、彼の涙には共感できました。


映画部の冴えない部長・前田とイケてる帰宅部部員の宏樹という、ふつうならまずぜったいに言葉を交わすこともないはずの二人が8ミリカメラを介して会話する。

僕はホラーファンじゃないけど、でも部活の顧問(岩井秀人)が脚本を書いて前田たちにムリヤリ撮らせた『君よ拭け、僕の熱い涙を』(略して「君拭け」)なんていうチンカスみたいなタイトルの青春映画よりも、ジョージ・A・ロメロ*1をリスペクトしたゾンビ映画の方がよっぽど重要なのはわかる(^o^)

前田には宏樹にとっての“桐島”に匹敵する「大切なもの」がある。

しかし、そんな前田は「将来はアカデミー賞ですか?」とちょっとおどけてたずねる宏樹に「映画監督は無理」と答えるのだ。

プロの映画監督になれなくたって、ただ好きだから映画を撮ってるんだ。野球部のキャプテンが野球をつづけるのとおなじように。

その想いの「強度」は、器用だがこれといって打ち込めるものをなにももっていない人間にとっては望んでやまない渇望である。

8ミリフィルムについて、映画について熱く語る前田を見ているうちに、おもわず涙ぐむ宏樹。

名シーンだと思う。


宏樹はおもわず“桐島”に電話する。*2

はたして彼の前に、ふたたび“桐島”はあらわれるのだろうか。


※その後、2022年11月に10周年記念上映で劇場鑑賞。

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*1:ジョージ・A・ロメロ監督のご冥福をお祈りいたします。17.7.16

*2:宏樹が電話するのではなく、桐島から電話があったのを取ろうとしたけれど、遠くで野球をする音を聴いてそちらの方に気持ちが揺れる、という結末でした。