ロブ・コーエン監督、ジェイソン・スコット・リー、ローレン・ホリー出演の『ドラゴン/ブルース・リー物語』。1993年作品。
1950年代末、香港でケンカ騒動を起こした李振藩、またの名を李小龍(ブルース・リー)という中国人青年は、父の勧めもあって単身アメリカに渡る。大学に通いながらアメリカ人たちに中国武術を教えるうちに、やがて白人女性のリンダと出会い愛し合うようになる。しかし当時のアメリカには公然とアジア人への差別があり、彼は屈辱と苛立ちのなかでいつしか映画の世界へ入っていくのだった。
ブルース・リーというスターを知らない人以外にはネタバレなし。
公開当時、劇場で観ました。
じつはそのときまでブルース・リー本人の映画を観たことがなかった。
なのになぜこの映画を観ようと思ったのかはおぼえていません。
とにかくいっぺんに魅了されて、ブルース・リーに夢中に。
以来、この作品は僕にとって大切な映画になりました。
ただ、この映画はブルース・リーにくわしい人、ファンやマニアからはけっこう厳しい評価もされていたりする。
その理由はいまならよくわかるんだけど、ともかく当時の僕には“ブルース・リー”という人を教えてくれた作品だったのだ。
しばしばいわれるのが、主演のジェイソン・スコット・リーがブルース・リーに似てない、というもの。
また、いまでもときどきジェイソンをブルース・リーの息子だと勘違いしている人がいるが、おなじリー姓でもふたりには血縁関係はない。
ブルースにはリンダ夫人とのあいだに、ブランドンとシャノンのふたりの子どもがいる(ブランドンは93年に死去)。
ちなみにシャノンはこの映画に歌手役でゲスト出演している。
ブルースは父方の祖母がドイツ人のクォーターで、喜劇俳優だった父親の巡業先のアメリカで生まれたのでアメリカ国籍をもっていたが、育ちは香港で母国語は広東語。両親も中国人。
そして、自分が中国人であることや中国武術の普及に終生こだわった。
一方、ジェイソン・スコット・リーは中国とハワイの血筋を引く中国系3世で、生まれ(ロサンゼルス)も育ち(ハワイ、オアフ島)も生粋のアメリカ人。
『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』で、未来でマイケル・J・フォックスを追いかける3人組の1人を演じている。
またブルースは無駄な筋肉のない実戦的な格闘技体型で(ムササビみたいな背筋はちょっとボディビルっぽいが)身長が167cmだったのに対して、ジェイソンは身長176cm。器械体操の経験者だが、それまでは本格的に武術をやったことはなかった。
ブルース・リーが彼の映画のなかで披露する功夫(クンフー)も、この『ブルース・リー物語』では正確に再現されているわけではなくて、かなりおおざっぱなハリウッド式アクションになっている。
ブルース・リーが格闘場面でその表情に込めた悲壮感がジェイソンにはないetc...。
ようするに「大味」なのだ。
そういったファンにとっては不満な点というのももちろん理解したうえで、それでも僕はこの映画に愛着を感じずにはいられない。
すくなくともブルース・リー入門篇としては最適の作品なんではないかと思います。
師匠のイップ・マン(『イップ・マン 葉問』の感想はこちら)も登場するし。
ブルースの父親を演じるのは『インディ・ジョーンズ魔宮の伝説』や『ラストエンペラー』(感想はこちら)『トランスポーター』などのリック・ヤング。
ブルースが試合を申し込まれてたたかう相手は、『ポリス・ストーリー2 九龍の眼』など80年代のジャッキー・チェンの映画の敵役でよく顔を見たジョン・チャン(トヨエツではない)。
↓こちらは本物のブルース・リー。
『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972) 監督:ロー・ウェイ
ブルース・リーとたたかってる日本人は大魔神の中の人(橋本力)。最後に吹っ飛ぶスタントをしているのはジャッキー・チェン。
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『ドラゴンへの道』(1972) 監督:ブルース・リー
李小龍vs.チャック・ノリス 必殺“胸毛むしり”。ボイ~ン!
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なお、最初はブルース・リーの実の息子ブランドン・リーにブルース役のオファーがあったそうだが、ブランドンは父のイメージを背負うことを避けて断わったという。
そして彼はこの映画の公開前に不慮の事故によって還らぬ人となった。
この『ブルース・リー物語』では、「呪い」によってブルースが幼い息子ブランドンをうばわれる悪夢を見るシーンがある。
偶然とはいえ、若くして亡くなったブルース(享年32)に次いでその息子ブランドンも28歳の若さで天に召されることになってしまった。
僕はつらいときにランディ・エデルマン作曲のこの映画のテーマ曲をよく聴く。
そうすると、もうとにかく泣けるのだ。
『フォレスト・ガンプ』の予告篇でも使われてました。
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ブルース・リーがあの「アチョ~!!!」という怪鳥音に込めた怒りや悲しみを思い出して、涙によって浄化される気がする。
そして「Don't think. Feel!(考えるな、感じるんだ)」と唱えてみる(ノイローゼか俺は)。
藤子不二雄Aもブルース・リーが好きだったようで、「プロゴルファー猿」に彼をモデルにしたキャラクターを登場させていた。
稲中から春巻先生、ケンシロウや『ケンタッキー・フライド・ムービー』に竹中直人まで、もうブルース・リーが世界にあたえた影響を数え上げていたらきりがない(例えがパロディばっかだが)。
角田もジェロム・レ・バンナも、みんなブルース・リーに憧れてたんだもんな。
ブルース・リーは、1960年代のまだまだおおっぴらに有色人種に対する差別がはびこっていた時代のアメリカで白人の女性と結婚し、TVや映画の世界に進出しようとした人だ。
昨年公開された、黒人差別を描いた映画『ヘルプ ~心がつなぐストーリー~』(感想はこちら)と同時代である。
そこで彼が味わった屈辱は想像するに余りある。
劇中に、ブルースとリンダが映画館でオードリー・ヘプバーン主演の『ティファニーで朝食を』を観る場面がある。
「ウルサイネ~」
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ユニオシ*1という謎の東洋人(多分、日本人)が出てきて、提灯や部屋のそこらじゅうに身体をぶつけまくったあげくあれこれとオードリーに怒鳴る。
この東洋人はアメリカ人の俳優が演じていて、チビで出っ歯の入れ歯をして眼鏡に七三(映画ではオールバックだが)という、ヘタすりゃいまでも変わらないハリウッドにおける日本人のステレオタイプである。
リンダはほかのアメリカ人たちといっしょにこのブサイクな東洋人の滑稽な様子を笑っていたが、ふと横を見るとブルースは憮然とした表情でスクリーンをみつめていた。
リンダはブルースとともにそのまま映画館を出る。
おそらくこういうことは現在でもめずらしくないんじゃないかと思う。
出っ歯に眼鏡でおまけにカメラをもっている(オードリーに「あたしの写真撮らせてあげるから」といわれたユニオシは「いつ?」と嬉しそうにたずねる)というのは、欧米人から見た日本人、ひいてはアジア人のイメージとして定着している。
ここでバカにされてるのは日本人なんだけど、まぁおなじ東洋人としてブルース・リーが不快な思いをしたということだろう。
史実なのかどうかは知らないが。
ちなみにブルース・リーは極度の近眼で、普段は度の強い眼鏡をかけていた。
また酒は一滴も飲めなかったらしい。
なんかカワイイな(^o^)
武術をアメリカ人に教えようとすれば、中国系のコミュニティから横ヤリが入る。
白人のリンダと結婚しようとすれば彼女の両親に反対される。
TVドラマの企画を出して主演を希望すれば、アジア人に対する偏見からそれを白人俳優(デヴィッド・キャラダイン。『キル・ビル』のビル。その後、齢72にしてオ○ニー中に事故死したファンキーな人)にもっていかれる。
失意のなかでブルースはアメリカでの活動を断念して香港に帰るのだ。
10年以上がんばって、その努力が報われなかったのはどれほど悔しかっただろう。
しかし彼のアクションスキルの高さに香港の映画会社が目をつけて、さっそく契約、主演映画が決まる。
その映画『ドラゴン危機一発』のプレミア上映会のシーンはほんとうに感動的だ。
観終わった中国人の観客はハンカチで涙を拭い、ブルースは肩車されて皆から拍手で讃えられる。
素晴らしい場面で、当時は未見だった『危機一発』という映画に興味がわいたのだが、のちにじっさいに観てみたら、タイの田舎でブルース・リーがギャングとたたかうという、別にどこにも感動的な要素などない作品だった。
敵をぶっとばしたら吹っ飛んでいった相手が壁にぶつかってそのまま人型の穴が開いたり、主人公のブルースが犬を焼いた肉を食っちゃうシーン*2があったりとじつになんともほのぼのした映画です(^_^)
それでも当時は画期的なアクション映画だったんでしょうな。
彼にとっては、アメリカでは実現できなかった夢を凱旋した故郷で成し遂げた瞬間だったのだ。
つづく『ドラゴン怒りの鉄拳』では敵が日本人なのだが、ブルース・リーは『ドラゴンへの道』や未完成となった『死亡遊戯』などの撮影には当時香港で活動していた日本人キャメラマンを使い、勝新太郎の『座頭市』が好きで『怒りの鉄拳』では勝プロから俳優を招いたり、スキヤキが好物だったりと、戦中生まれにもかかわらずむやみな反日とは無縁の人だった。
もちろん中国人としてのプライドはあるが、そのへんは器用に使い分けていたのだろう。
30歳を越えてようやく手にした栄光は、しかしあまりにも短かった。
わずか4本の主演映画(彼の死後、撮影済みのフィルムと代役を使って『死亡遊戯』が完成)を遺して、代表作『燃えよドラゴン』の世界的大ヒットを目にすることなく、1973年に彼は世を去った。憧れだったジェームズ・ディーンのように。
この『ブルース・リー物語』では、『燃えよドラゴン』の撮影風景にリンダのナレーションがかぶさり、映画は終わる。
ブルース・リーはいまも映画史のアイコンとしてディーンやチャップリン、マリリン・モンローらとともに世界中の人々に記憶されている。
『燃えよドラゴン』(1973) 監督:ロバート・クローズ 出演:ジョン・サクソン ジム・ケリー シー・キエン ヤン・スエ ボブ・ウォール アンジェラ・マオ アーナ・カプリ サモ・ハン・キンポー
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2013年はブルース・リーの没後40年にあたる。『燃えよドラゴン』が作られてからちょうど40年が経った。
ハリウッド映画では、マコ岩松やパット・モリタ、ジョージ・タケイ、ケイリー=ヒロユキ・タガワ、マシ・オカなど脇役で活躍した、もしくは現在活躍中の俳優はいるが(たまたま日系ばかりあげたけど、もちろんほかのアジア系の俳優も大勢いる)、アジア系の俳優が主役を務めるメジャー作品はいまだにほとんど存在しない。
渡辺謙や真田広之、浅野忠信がハリウッド映画に出演している現在を、ブルース・リーが奮闘していた頃とくらべて進歩したといえるのかどうか僕にはわからないが、ほんとうはアジア系アメリカ人俳優が主役で(たとえば黒人俳優のエディ・マーフィやウィル・スミス、デンゼル・ワシントンたちのように)大ヒット映画を生み出せるようになってはじめて、かつてブルース・リーが夢見たことが実現されたといえるだろう。
ブルース・リーを演じたジェイソン・スコット・リーは、ハリウッドのアジア系俳優としては大変めずらしく『ブルース・リー物語』以外でも『ジャングル・ブック』や『モアイの謎』などでも(どれも上半身裸の役ばっかだが)主演を務め、明るくガタイも良くてぜひ活躍しつづけてほしかったが、その後も出演作はあるものの最近では目立った主演映画は見当たらない。
ブルース・リーに次いで世界中で有名な中国人アクションスターであるジャッキー・チェンも、そろそろ還暦を迎えようとしている。
ブルースが真に望んだ夢はいまだに達成されていない。
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