エドガー・ライト監督、マイケル・セラ主演の『スコット・ピルグリムVS. 邪悪な元カレ軍団』。2010年作品。日本公開2011年。
カナダのトロント。主人公のスコットは見るからにギーク(オタク)だが、バンドでベースをやってて女の子にもモテる。最近17歳の中国系の女の子と付き合いはじめて絶好調。そんな彼の前に髪を紫色に染めた女の子ラモーナが現われる。
『ホット・ファズ』の監督の新作でコミックの実写化作品ということで『キック・アス』(感想はこちら)や『エンジェル ウォーズ』(感想はこちら)などと同様、オタク風味の題材が気になっていました。
原作漫画については『キック・アス』のコミックブックの店のシーンで「スコット・ピルグリム読んだ?」という台詞もある。
原作は読んでいないので、あくまでも映画についてのみ書きます。
以下、ネタバレありです。
まず、この映画は編集が変わっていて、ちょうどTV番組をザッピングしてるような、あるいは漫画をパラパラ流し見してるような感じで場面がポンポンッ!と飛んだりする。
映画そのものがまるでゲームのような仕様になっていて(敵を倒すとコインになったり、1UPしたりする。他にもアイテムがいっぱい登場)主人公はゲームのプレイヤーみたいな描き方をされてる。
まぁよーするにあれこれいろいろと小細工が施してあるわけです。
そういう遊び感覚あふれた作りの映画はわりと好きなんで、けっこう期待していたんだけど。
実際、バックにファミコンみたいな音楽が流れたり主人公が「パックマン」の語源を女の子に得意気に語ったり、演じるマイケル・セラはどう見ても運動神経が良いとは思えないのに敵とクンフー・バトルを繰り広げたりと、楽しい場面はいくつもある。
Scott Pilgrim Universal Studios 8bit Opening
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スコットの前に立ちはだかる7人の敵の中には、『スーパーマン リターンズ』(感想はこちら)のスーパーマン役だったブランドン・ラウスや『キャプテン・アメリカ』(感想はこちら)のクリス・エヴァンス、僕は「王様のブランチ」でしか見たことがない斉藤兄弟などが出ていて暴れている。
ブランドン・ラウスが演じる頭からっぽの絶対菜食主義者(ヴィーガン。肉類、魚介類、卵、乳製品などの動物質食品をとらない人。ナタリー・ポートマンも妊娠前までそうだったんだそうで)の描写は可笑しかった。
そういった面白い要素もあったんだけど、先に正直に申し上げておくと僕は残念ながらこの映画にはいまいちノれませんでした。
…なんというか、観客を置いてけぼりにして勝手にどんどん進んでいく展開といい、何より観ていて腹が立ったのは主人公の異常なまでの甘やかされぶり。
『(500)日のサマー』(感想はこちら)や『婚前特急』(感想はこちら)など、主人公がまわりにやたらと構ってもらえて甘やかされてる映画に違和感や嫌悪感を感じることが多いんだけど、この映画の主人公の甘やかされ方はちょっと度が過ぎてる。
マコーレー・カルキンの弟、キーラン・カルキンが眠たそうな目で演じるゲイのルームメイトといい、バンドのメンバーたち、そして不必要に美人の妹!(アナ・ケンドリック)とか、とにかくもう、みーんなスコットにあれこれ世話を焼いてくれてウザいぐらいあたたかく見守ってくれる。
…最近こーゆーの多過ぎなくね?
「友情、努力、勝利」の“努力”が見事に抜けててあまりに主人公に都合が良すぎる話なので、何か重要なものを観落としたのではないか、と思って途中からはかなり集中して観たんだけど、僕にはこの映画の中に「なるほど、そういうことを語っていたのか」と合点がいくテーマやユニークなものの見方を発見することができなかった。
ろくに挫折すらせずに戦えば勝ち(一度負けても“コンティニュー”すれば何度でも挑戦できる)、ラストも嫉妬に狂っていたはずの女の子が「私にあなたはもったいない」と身を引く。
どこまでも甘やかされた主人公には最後まで共感も感情移入もできませんでした。
もしかしたら暑苦しい「努力」を描かないこの映画を持ち上げておくと“クール”なのかもしれないけど、面白いと思えないものを無理に褒めることはできないので。
やっぱりフィクションであっても、というかフィクションだからこそ、必死に困難を乗り越えようとする、あるいは完膚なきまでに叩きのめされる主人公の姿に観客は自分を投影して思い入れを込めたり泣いたりできるんじゃないのか。
なんかジム・ヘンソンのパペットか魔法使いみたいなヘンな顔したマイケル・セラは、童貞キャラが定着してることもあって非モテ男には肩入れしやすい俳優だと思うんだけど、こういう自分の反応を客観的に眺めてみてわかったのは、オタクは「調子に乗ってるオタク」を見るのが嫌いだ、ということでした。
だったらむしろイケメン俳優が演じてくれた方がよかった。
これはあれなのかな、ぜんぶ主人公の妄想なんじゃないのか?
そうとでも考えないと(なんかほんとそーゆー映画多いなぁ)、納得いかなさ過ぎる。
恋愛物もヒーロー物も、たいがい最後は主人公が勝利する、欲しい物を勝ち取るということではけっきょくは彼らに都合がいい物語ではある。
でもその途中になんの障害もなかったらカタルシスもへったくれもないではないか。
監督によれば、この映画は「調子に乗っていた主人公がほんのちょっと成長する物語」らしい。
…本当にそうか?
成長してるようには見えなかったけど。
この映画にはふたりの主要ヒロインが登場する。
ひとりは中国系の女子高生ナイヴス。
もうひとりは白人で一週間ごとに髪の色を変えるラモーナ(『ダイハード4.0』のマクレーン刑事の娘役や『デス・プルーフ』のチアガール姿の女の子役などのメアリー・エリザベス・ウィンステッド。ちょっとSHELLY似)。
他にもスコットのまわりには女の子がいっぱい。
で、調子コイてるスコットはナイヴスとラモーナとの間で二股をかける。
そのせいでラモーナの7人の元カレ軍団と戦う羽目になるのだが、なんで戦うのか、戦って何がどうなるんだかその辺も意味がよくわかんない。
そーゆーことなんで、って感じで勝手に話が進んでいく。
さらに軍団を束ねる黒幕がいて、そいつが実はラモーナの別れたばかりの彼氏だったりするんだけど、観てるうちにそんなのはもうどーでもよくなってくる。
それはともかく、問題はナイヴスの扱いだ。
うまくいえないんだけど、劇中でのこの中国系の女の子の描かれ方、扱われ方が僕はとても不愉快だった。
いとうあさこみたいな顔のナイヴスはたしかにキュートではあるんだけど、つまるところスコットにとってはちょっと珍しいアクセサリーとかアイテムのような存在でしかない。
安易に「差別的」という表現は使いたくないし、おそらく作り手のエドガー・ライトは中国とか日本とか、アニメやゲームとか、つまりポップでトラッシュ、サブカル的になんとなくイケてる感じのアジア的な文化には好意的なんだろうし悪意はないと思うんだけど(だから余計タチが悪いともいえるんだが)、やはりどこかで「珍しくて面白いから付き合ってるけど本気で愛するとかそーゆーことじゃないんで」みたいな、けっきょくはよそ者扱いしてるふしがうかがえてイラッとした。
17歳、中国系=クール。
そう感じるのは勝手だけど、スコットはいっときでもナイヴスの内面を想像したことがあるんだろうか。
彼に夢中で彼のバンドの音楽も好きになってくれて追っかけてくれる女の子。
悪い気はしないから付き合ってる。
でもひとりの人間、ひとりの女性として彼女のことを想う場面はまったくない。
最後に「傷つけてゴメン」と謝りはするものの、その直後にもラモーナと彼女を天秤にかけている。
どんだけ無神経なんだ、と思うんだけど、他の観客のみなさんはなんとも感じなかったのかなぁ。
この映画ではラストで主人公がふたりの女の子に同時にフラれるのが順当ではないのか。
それではじめて主人公は「ほんのちょっと成長」できたことになるんじゃないの?
この映画の原題は“Scott Pilgrim vs. the World”だけど、本当にスコット・ピルグリムは「世界」と戦ったといえるだろうか。
この映画に彼以外の「他者」が存在しているようには思えなかったのだが。
すべてがゲームの中の出来事のように見えて、自分の分身=アルター・エゴたちが「おめでとう、おめでとう」と褒めてくれる気持ちの悪い“脳内”ワールド。それがこの映画で描かれた主人公が生きている世界の正体だ。
そういう意味では最高に病んだ映画でした。
Scott Pilgrim vs. the World: Black Sheep - FULL music video
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Beck - Ramona この曲はけっこう好きなんだけどね。
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