※以下は、2011年に書いた感想に一部加筆したものです。
マシュー・ヴォーン監督、ジェームズ・マカヴォイ、ミヒャエル・ファスベンダー出演『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』。2011年作品。
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遺伝子の突然変異によってうまれたミュータントたちを描くシリーズの第5弾にして“X-MEN”誕生譚。今回の舞台となるのは1960年代。のちに“プロフェッサーX”と“マグニートー”として対立する(ときに共闘もする)ことになるチャールズとエリック。うまれた場所も育った環境も違うふたりはいかにして出会い、そして決別に至ったのか。
監督に『キック・アス』(感想はこちら)のマシュー・ヴォーンをむかえ、キャストを一新して仕切り直しとなった本作。
チャールズ・エグゼヴィアを演じるジェームズ・マカヴォイは『ナルニア国物語』のタムナスさんや『ウォンテッド』の射的小僧から(キーラ・ナイトレイと共演した『つぐない』は未見)最近は『声をかくす人』(感想はこちら)の弁護士などさまざまな役柄を演じているけど、僕が彼をはじめて見たのはTVドラマ版の「デューン 砂の惑星II」での双子の兄妹のひとり、レト2世役。
「デューン 砂の惑星II」(2003) 監督:グレッグ・ヤイタネス 出演:アレック・ニューマン スーザン・サランドン
音楽が『ナルニア』などいろんな映画の予告篇で使われてます。
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「X-MEN」にも通じる超人的な能力をもつキャラクターで、その射抜くような鋭い眼つきが印象的だった。
あの頃に比べるとちょっとふくよかになったかな。
この『ファースト・ジェネレーション』の彼は妙に髪がヅラっぽいのが気になったんだが、やがてツルッパゲのパトリック・スチュワートになる布石か?
一方、エリック・レーンシャー役のミヒャエル・ファスベンダーは、クエンティン・タランティーノ監督の『イングロリアス・バスターズ』(感想はこちら)で男らしい台詞で最後を締める、頼りがいのある英国軍中尉を演じてた。
この人が年とるとイアン・マッケラン(白のガンダルフ)になるとはにわかには信じがたいが、一発殴ったらくたばりそうなマッケランに不満だった人には、ちょっとヴィゴ・モーテンセンを思わせるワイルドなファスベンダー(しかしこの映画ではどことなくゲイっぽさもうかがわせてる)には満足だろう。
アニメ版のマグニートーはいかにも悪役といった感じのマッチョな大男だったし、特に原作を知ってる人にはマッケランは完全なミスキャストに映ったようだけど、僕は「強そうに見えないのに強大な力をもっている」というギャップが面白いと思ったので気にならなかった。
ファスベンダーは枯れた英国紳士のマッケランとは違って、若き日のショーン・コネリーを思わせる血気にはやる男の色気がムンムンで、やはりとても同一人物には見えないが。
ちなみに、冒頭に登場する少年時代のエリックを演じているのは『リトル・ランボーズ』(感想はこちら)の主演、ビル・ミルナー。
また、特殊メイクに覆われてるので観たときはわからなかったけど、なにげに今回の人気キャラで触ったものとともに瞬間移動する能力をもつミュータントの“アザゼル”を、『キック・アス』ではヒット・ガールに瞬殺されてた、ガイ・リッチーやマシュー・ヴォーン作品ではおなじみのジェイソン・フレミングが演じている。
って…なんか、いつも以上にわかりづらい感想になりそうだな(;^_^A
固有名詞についていちいち細かい説明をしないので、それらがなんのことだかわからない人はちょっと読むのキツいかもしれません。申し訳ないです。
そんなわけで、以下【ネタバレ注意】です。
さて、本題に入る前にちょっと「X-MEN」シリーズのおさらい。
原作コミックは読んだことがないので、映画についてのみ書きます。
あ、昔TVでやってたアニメは観てました。
アニメ版では主要メンバーだったガンビットが映画版じゃ全然出てこないんで「なんでじゃ」と思ってたけど(その後『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』でようやく登場)。
んで、映画版はシリーズをずっと劇場で観てきたんだけど、どうもけっこう厳しい評価をされてるらしい第3作目の『X-MEN ファイナル・ディシジョン』やスピンオフの『ウルヴァリン』、この2本とも僕はそんなに嫌いじゃないんだよね。
『ファイナル・ディシジョン』は何度もTVで放映されてるせいもあるけど、観やすいし普通に面白かったじゃん、と。
『X-MEN:ファイナル・ディシジョン』(2006) 監督:ブレット・ラトナー 出演:ヒュー・ジャックマン ファムケ・ヤンセン ハル・ベリー ジェームズ・マースデン アンナ・パキン エレン・ペイジ
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マグニートーが金門橋(ゴールデンゲートブリッジ)を宙に浮かせて移動する場面なんか迫力あってカッコ良かったし。
ただ、『ファイナル~』で唯一不満だったのは、それを打つとミュータントはみな人間になってしまう“キュア”なる新薬。
これが物語のかなめになっていたんだけど、あたりまえだがそんな便利な薬品などこの世には存在しない。
「X-MEN」におけるミュータントというのは現実の世の中のマイノリティ(少数派)のメタファーで、たとえば人種、あるいは身体的特徴や性的指向などをあてはめることができる。
人はもってうまれた外見を容易に変えることはできない。
だから差別というものがはびこるわけで。
それを注射一本で変えられるのなら誰も苦労などしない。
いくら荒唐無稽なアメコミヒーロー物だといっても、それは安易過ぎるんじゃないかと思った。
ま、でもそれを除けば、なんか「ジョジョの奇妙な冒険」のスタンド使いみたいに限られた特殊能力をもつキャラクターたちが、それらを駆使して戦うのを観てるのは楽しかった。
またシリーズすべてに皆勤のヒュー・ジャックマン演じるウルヴァリンを単体でフィーチャーした『ウルヴァリン』は、おそろしく寿命が長く治癒能力があってほとんど不死身に近い彼とその兄とのド派手な兄弟喧嘩という、やたらスケールダウンした話だったんで「X-MEN」にシリアスなテーマを求めるむきには不満が残る作品だったのはわかるけど、初心者には一番入りやすい作りだったし、これまた普通に面白かったじゃん、と。
などと熱く語ってるように見えて、実際にはそれほど思い入れが強いわけでもないんですが。
ただ、『ハリポタ』や『ナルニア』『パイレーツ』など、ハリウッドの長寿シリーズに途中でことごとく挫折してしまった僕にしては、いまだに全作お付き合いしてるということはやっぱり好きなんだろうなぁ、と。
なによりも今回は監督が『キック・アス』のマシュー・ヴォーンだということが大きかった。
この監督の最新作なら観ないわけにはいかない。
で、結論ですが。
『キック・アス』を超えてはいないと思う。
あれは別格だからしょうがないけど。
まず、この映画には『キック・アス』の“ヒット・ガール”のような作品から飛び出すぐらいの強烈な印象を残すキャラはいないので(チャールズもエリックも、そしてケヴィン・ベーコン演じるセバスチャン・ショウも物語の枠組みの中にうまく納まっている)、それだけでもインパクトはだいぶ軽減される。
それと、僕は個人的には過去の三部作でレベッカ・ローミン(本作にも素顔でワンシーンだけ登場)が演じていた無口でクールな(でも身体はよく動く)ミスティークが好きだったんで、この映画でジェニファー・ローレンスが演じる感情豊かでより人間っぽくなった彼女には若干違和感も。
あと、この映画の最後にプロフェッサーXが下半身の自由を失った理由があきらかになるけど、たしか『ファイナル・ディシジョン』の冒頭や『ウルヴァリン』でハゲたあとも自分の足で歩いてなかったっけ?
…とまぁ、細かいツッコミはおいといて。
でもちょっと往年の007映画っぽい雰囲気もあって、そういうの好きなら「別にアメコミヒーロー物とか興味ないなぁ」とか思ってる人でも意外と楽しめちゃうんではないかと。
そのかわり登場人物たちについての知識が皆無の状態だと、シリーズをとおして観てきた人ほどの感動は味わえないかもしれない。
なんか痛し痒しだったりして。
英国人であるヴォーン監督はずっとジェームズ・ボンドの映画を撮りたかったのに監督に選ばれることはなかったため、007シリーズのプロデューサーであるバーバラ・ブロッコリに対して「俺を起用しなかったことを後悔させてやる」つもりでこの『ファースト・ジェネレーション』を撮ったんだそうな。なかなか執念深い人だ。
だからこの映画は60年代のボンド映画的なテイストがあって、パロディ映画『オースティン・パワーズ』に出てくるような服装の女の子たちが多数登場したりもする。
時は米ソ東西冷戦真っ只中の1962年。
世界史的にいえば「キューバ危機」があった年。
第三次世界大戦勃発の火種になったかもしれないこの事件に、我らがX-MENが介入する。
ザック・スナイダー監督の『ウォッチメン』(感想はこちら)の冒頭でもキューバ葉巻をふかすカストロ議長が映ってましたね。
若き日のチャールズは足腰も健康でおまけにまだ毛がある。
酒の席で女の子を口説くチャラさも持ち合わせている。
裕福な家庭に生まれ育った彼は何不自由ない人生を送ってきたように見えるが、金持ちには金持ちなりの孤独や苦しみがあるようだ。
彼のコインの裏面であるエリックは、ユダヤ人であるためにナチスに親を殺され、またミュータントであるがゆえに差別と迫害を受けてきた。
このまったく異なるふたりが「ミュータント」という共通点によって出会い、友情を育む。
僕がまず連想したのは『スターウォーズ』エピソードI~IIIにおけるオビ=ワン・ケノービとアナキン・スカイウォーカーの関係。
ジェダイの優等生であるオビ=ワンと特別な力をもちながら反抗心と支配欲に負けてやがて暗黒面に堕ちるアナキン=ダース・ベイダーの物語は、この「X-MEN」サーガのふたりの主要人物のそれに似ていなくもない。
この『ファースト~』でエリックがおのれの力に目覚めるきっかけとなるのが現実の世界で歴史上もっとも忌むべき「悪」であるナチスだったように、スーパーヒーロー物は「悪」を憎む主人公を描きながら、物語としてはかならず打ち負かすべき「悪」を必要とする。
正義の味方と平凡な市民しか出てこないヒーロー物なんか誰が観るだろうか。
フィクションの中の悪漢、悪党、悪人は、彼らが徹頭徹尾「悪」だからこそ魅力的なのだ。
この『ファースト~』に登場する「絶対悪」は、ケヴィン・ベーコン演じるセバスチャン・ショウ。
世界中をまわって何ヵ国語も自在に操り、まるで『マーズ・アタック!』に登場した火星人の秘密兵器のように敵の攻撃を全部吸収して蓄えてしまう史上最強のミュータントである。
演じるケヴィン・ベーコンのたたずまいが、ちょっと三池崇史監督の『妖怪大戦争』で“魔人”加藤保憲を演じた豊川悦司っぽいのが面白い。
こんな強い奴がなんでヒトラーの下で働いていたのかはよくわかんないけど、悪役ってのは持って回ったやり方が好きですからね。
「究極の悪」というのは、ようするに聖書でいうところの「悪魔=サタン」であり、人類がかかげる「愛」とか「希望」に対する挑戦者、挑発者である。
ところが、そんな悪の権化は自分の身体を核兵器並みの威力に変えてしまう力を有していながら、一枚のコインでトドメを刺されてしまうほどの「バカ」でもある。
フィクションの中の悪役はけっこう“うかつ”なのだ。
「悪」が倒されてくれなければ正義の味方は困ってしまうから。
ただし、この映画の中で描かれるナチスの蛮行や核戦争の恐怖、被差別者の苦悩、といった要素は、一見とても重要なことのように描かれてはいるが、それは「大いなるマクガフィン」、つまりストーリーを転がすための小道具に過ぎないのではないか。
それはちょうど、『ウォッチメン』で描かれていた「核戦争の危機」が見かけほど切実なものではなかったように。
「X-MEN」シリーズが描いてきた“少数派や弱い立場のために虐げられている者たちの戦い”というテーマは、この映画ではエリックのショウへの復讐やキューバ危機という派手な事件のインパクトによって、だいぶうやむやになっている(もちろんナチスのユダヤ人虐殺は差別の最たるものだが)。
この映画には、観客があれこれと想像で補わなければならない部分が多い。
『キック・アス』では平凡な主人公がスーパーヒーローを目指す理由がちゃんと描かれていたが、この『ファースト~』ではそれまで差別や迫害を受けてきたのだろうと想像はできるものの、若いミュータントたちの“怒りの根拠”が具体的にほとんど描かれないために(せいぜい研究所でバカにされる程度)、彼らがなぜ人間に反感をもち、やがてその一部が人類に反旗をひるがえすことになるのかわからない。
そこは省略せずに描くべきではないか。
劇中で何度も台詞で強調される「ありのままの自分を受け入れろ」ということにしても、その重要性がいまいち伝わってこない。
最初に書いたように、マシュー・ヴォーンは冷戦時代を舞台にしたスパイアクションを作りたかったのだろう。
ショーン・コネリー主演のボンド映画に人間ドラマや反戦的なテーマなんかを期待したってそんなものはないのと同様、この映画も基本的には主人公たちが悪役を倒す勧善懲悪モノである。
それはいいんだけど、結局のところ物語は1本の映画として完結していないので(ラストは『X-MEN』の1作目に続くようになっている)、ちょうど『スターウォーズ エピソードIII』や『ダークナイト』の後半のような感じがしなくもなかった。
要は詰め込み過ぎ。
さっきまで一触即発状態だったのに、危機が去った瞬間その矛先をミュータントたちに向ける米ソ両軍といい、とにかく慌ただしすぎる。
もう作り手がチャールズとエリックをムリヤリ引き離そうとしてるようで。
ふたりは互いを評価しつつ、しかし根本的な部分で“人間”に対する考え方が違うために、最終的には袂を分かたざるを得ない。
この『ファースト~』は三部作にする構想があるそうだけど*1、だったらなおさら彼らの友情と別れはもっとじっくり描いていくべきだったと思う。
やはり幾度も幾度も人間たちに裏切られ続けたためについに人類と敵対する、というふうにしないと、エリックとチャールズの友情の深さとそれが失われた哀しみを描ききれないし、エリックの人類に対する怒りと絶望感に共感するまでに至らないのだ。
もちろん、エリック=マグニートーはセバスチャン・ショウのような絶対悪ではなくて、ただちに人類の抹殺を図るわけではないが、あのコスチュームはいかにもな「悪役」だ。
しかも赤いコスチュームでキメ台詞って、『キック・アス』と同じ終わり方ではないか(^_^;)
そして、このシリーズをとおして僕が感じていた疑問は、まるで選手をトレードするように敵味方がコロコロと入れ替わったりすること。
この映画でもさっきまで人類のために戦うつもりでいた若いミュータントが、あっというまに鞍替えしてしまうし。
これでは人類が彼らを信用しないのも無理はないと思えてしまう。
彼らはもっと迷い、葛藤する必要があったのではないか。
同じプリクエル(前日譚)としては新『SW』三部作よりははるかに巧くいってるとは思ったけれど。
でもなんか長い長い「キャラクター紹介」を観せられたようでもあった。
…と、なんだか「ビミョーな出来」みたいな感想が続いちゃったけど、いまさらだけど面白いんですョ。
特に、エリックがショウを追いながらナチスの残党を粛清していく場面は実にワクワクさせられた。
ミヒャエル・ファスベンダーによるこの魅力的な復讐者エリック=マグニートーの活躍を見事に描いてみせただけでも評価に値する。
『バットマン』も『スパイダーマン』もそうだけど、実力がある俳優たちが本気で演技してるスーパーヒーロー映画ってほんとに面白い。
上映時間の131分間、中だるみすることはない。
これまでのシリーズの中ではもっとも優れた作品だと思うし、僕も一番好きです。
実は映画館で2回観たし。
ただ、マシュー・ヴォーンは『キック・アス』でみずからハードルを上げてしまったので、どうしたってそれと同等かそれ以上の面白さを期待してしまうのは致し方ないところ。
なので最初に書いたような評価になりました。
ともかく、今この人が僕にとって他の誰よりも新作が待ち遠しい監督であることは間違いないです。
※以上は2011年に書かれた感想に一部加筆したものです。
その後、マシュー・ヴォーンは『キック・アス』『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』の続篇の監督をどちらも降板。それらは2015年公開予定の『スターウォーズ』の最新作『エピソードVII』を監督するためと噂されている。
追記:
その後、『スターウォーズ エピソードVII』の監督はJ・J・エイブラムスに決定。
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『キングスマン』
『キングスマン:ゴールデン・サークル』
『キングスマン:ファースト・エージェント』
『ARGYLLE/アーガイル』
*1:続篇『X-MEN:フューチャー&パスト』は2014年5月30日(金)より公開。