内田けんじ監督、堺雅人、大泉洋、佐々木蔵之介、常盤貴子、田畑智子、伊武雅刀出演の『アフタースクール』。2008年作品。
梶山商事に勤める木村(堺雅人)は、母校の中学校で教師をしている友人の神野(大泉洋)の車を借りて横浜に向かい、そのまま連絡がつかなくなる。横浜で木村が一人の女性と会っていたことを知った梶山商事の上層部社員は、探偵の北沢(佐々木蔵之介)に木村の行方をさぐらせる。梶山商事はどうやら新宿の暴力団とつながりがあるようだった。
内田監督の『鍵泥棒のメソッド』(感想はこちら)を観たあと、この『アフタースクール』のDVDをさっそく借りて観たんだけど、なんとエンディング間際で映像が突然停止、早送りや巻き戻ししても停止にしてもどうにもならず、強制排出したのだった。
何度試してもおなじ箇所で止まるため視聴を断念、レンタル屋さんにもっていって伝えると、ディスクに傷がついているのでは、とのこと。
自分でたしかめたときは目立った傷はなかったけどな。
そのあと観たほかの映画のDVDはなんの問題もなかったので、僕が傷つけたんじゃありませんよ、念のため。
あいにくそのときはおなじ映画が貸出し中だったんで無料レンタル券もらったんだけど、だったら新作借りたほうが得なんで別の映画借りてしまった。
そんなわけで、非常にハンパな状態での中断に気分が萎えてしばらく放置してたんだけど、ようやくまた借りてきました。
以下、ネタバレあり。
内田監督の作品は邦画にはめずらしくストーリーテリングで見せていくタイプの映画で、そここそを高く評価されているんだけど、白状するとじつは最初に観たときはストーリー的にちょっと腑に落ちない点がいくつかあって、「あれ?また“ウ~ン”なのかな」と思った。
最新作の『鍵泥棒のメソッド』も「脚本が巧い」と絶賛の人たちがいるなか、僕はどうもそうは思えなくて。
なので、もしかしたら俺はこの監督さんの映画はちょっと合わないのかな、なんて感じはじめたりもしていた。
でも、1作目の『運命じゃない人』はふつうに楽しめたはずなんだけど。
で、ともかくちゃんと最後まで観ようと思って、『アフタースクール』二度目の鑑賞。
…そしたら、予想外にスルッと観られたのでした。
ってゆーか、ふつうに面白かった。
おみそれいたしました。
いや、僕はこの映画は『鍵泥棒』よりは面白かったですよ、一度目のときから。
なにより、いかにも主役然として登場した堺雅人がはやばやと姿を消してしばらく出てこなくなるという展開には意表を突かれた。
観客はまず、堺雅人が演じる一流企業に勤めている木村と常盤貴子演じる美紀の“夫婦”がいて、大泉洋演じる友人・神野、というふうに主要登場人物たちの関係を把握するのだが、すでにそこが“引っかけ”だった。
じつは劇中で木村と美紀は一度も自分たちが“夫婦”などとは名乗っていない。
それっぽい描写から、観てるこちらが勝手にそう思い込むようにミスリードされている。
彼らの「計画」のなかに割り込んでくる佐々木蔵之介がまさに観客の眼のかわりになって、みごとにいっしょにだまされてくれる。
でも僕はこの時点で、最初に観たときにいくつか勘違いしてたことに気づいた。
たとえば、常盤貴子演じる美紀のおなかの赤ちゃんは大泉洋演じる神野の子だと信じ込んでて、だから“こいつら出会ってからいつのまに仕込んだんだよ”などと思っていた。
それが今回ヤクザ役の伊武雅刀の台詞をちゃんと聴いて(伊武さんの台詞がちょっと聴き取りづらかったんだよ〜、と言い訳してみる)、美紀の妊娠は木村や神野との再会よりも以前からだったことを知った。
だから最初観たときに、妻であるはずの美紀が神野のことを毎回「神野君」とよそよそしく呼んだり、病院で美紀の出産後に看護師に「お父さまは?」ときかれて神野が「まだいません」とか、北沢にも結婚してるかたずねられて「どフリー」などと答えることに対する疑問がすべて解消されたのでした。
なんで自分のかみさんが出産するかもってときにわざわざ友だちと連絡とろうとするのかもわかんなかったんだけど、つまりふたりとも彼女の夫ではないし赤ちゃんの父親でもない対等な立場なんだから当然、ということですね。
車のなかの神野の指輪の存在も忘れていた。
思い込みってコワいなぁ。
もしかしたら、偉そうにダメ出しっぽい感想書いた『鍵泥棒』の方も、いろいろ勘違いしたまま文句いってたんじゃないかと心配になってきた。
単純に俺の読解力がないだけなのでは、と。
そんな感じで、自分の映画を観る目に自信をうしないかけてたりしますが、ともかく今回は楽しめました。
いやまぁ、登場人物たちの関係が偶然にしてはあまりに都合よすぎるってのはあるんだが。
木村はたまたま梶山商事で経理課担当だったんだし、神野の妹はたまたま警官で、ヤクザの情婦で組織との取り引きの秘密を知った美紀はたまたま元同級生の木村と神野に再会する。
でもそういう情報は映画の前半でほとんど提示されてるから、観てるあいだはさほど気にならない。
好きな男子の友だちにラヴレターを託すなんて男心を踏みにじる行為だな!と思ってたのも、本人に渡す暇がなくてやむなく…ということだったのが、映像が止まっちゃったあとの場面で台詞で説明されてたし。
やはり映画は最後まできちんと観なければいけませんね。自戒。
これは一度目に観たときにも可笑しかったんだけど、ヤクザの組長がやっきになって捜してるイイ女が田畑智子、ということに途中までおおいに違和感があったのが、ちゃんと納得のいくような真相が語られて、梶山商事の社長・大黒(北見敏之)と木村のうどん屋での一見会話が成立しているようでじつはそれぞれ別の女性のことを話している、というあたりも巧いなぁ、と。
僕がこの映画で特に印象に残ったのは、探偵の北沢が神野に「お前みたいな奴みてるとムカムカするんだよ。世のなかのことなにもわかってないくせに。早く中学校から卒業しろよ」といい捨てる場面と、終盤にその言葉に対して神野が返す言葉。
「クラスにかならずいるんだよ、学校がつまんないだのなんだのって。お前がつまんないのはお前のせいだ」
どちらの台詞にもどこかうなずけてしまう。
世間的にはまっとうな職に就いているが、人を素朴に信じて警察にもすなおに協力する、世のなかの残酷でいかがわしい部分にも気づいていないようにみえる神野に対する北沢の冷めた態度。
そういう北沢を「わかったようなこといってる」イジケた人間とみなす神野。
会ったこともない木村のことを妻以外の女と浮気している男と勝手に決め込んで「現実なんてこんなもんだよ、先生。奴のかみさんとヤれるチャンスだぞ」などと下卑たことをいう北沢に、神野は心底失望した表情をみせる。
教育者として、神野には北沢のような男が痛々しくてたまらないのだろう。
「なんであの女のためにそこまでするんだ」という北沢と、神野の会話は最後まですれ違っている。
親の借金のためにヤクザの情婦になって“あゆみ”という名前で店に出ていた美紀は、半年ほど前にそこで木村と再会、店を飛び出して神野の運転する車で逃亡する。
一方で木村が勤める梶山商事社長の大黒と上海の裏組織との取り引きをかぎつけた警察は、美紀を保護するとともに木村と神野におとり捜査の協力を依頼していた。
神野と木村が「あの女」=美紀のためにそこまでしたのは、彼らが中学の同級生だったからだ。
そしてふたりとも彼女にあこがれていた。
そんなわけで、北沢が鼻で笑っていた「人とのつながり」は神野と木村のコンビによってそのたしかさが実証された。
前半での神野のお人好しにもほどがある使われっぷりなど、いくらなんでもよく知らない相手のためにあんな探偵の真似事までするかね、とは思うが、途中から彼は北沢に利用されてることに気づきつつわざと付き合ってたことがわかるし、まぁありかな、と。
僕は「じつはまわりはみんなグルでした」というオチはちょっと苦手で、“コンゲーム物”として名作の誉れ高いジョージ・ロイ・ヒル監督、ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード出演の『スティング』でも、そんな大量の人手を投入した大掛かりなトリックがアリならなんでもできるじゃないか、と思った記憶がある(あの映画の見どころは“どんでん返し”よりも役者たちの演技合戦だろうし、ずいぶん昔に観たきりなんで内容についてもちょっと自信ないですが)。
昔やってた「どっきりカメラ」かなんかで、店の客がトイレから出ると店内がヤクザの事務所に早変わりしてるイタズラみたいで。
スティーヴン・ソダーバーグ監督、ジョージ・クルーニー主演の「オーシャン」シリーズにも同様の腑に落ちなさを感じていた。
でもこの『アフタースクール』では、警察が大掛かりな計画を立てていたのには相応の理由があるし、なによりこの映画の最大のオチは別にあるので、「そんなのありかよ」というアンフェアな感じはしない。
一回観て設定をちゃんと把握できてなかったのはお恥ずかしいかぎりですが。
ちなみにすっごくどーでもいいツッコミをさせてもらうと、北沢が入手する監視カメラのヴィデオ映像の日付は「2008年」になっててそれはこの映画が公開された年だけど、神野が梶山商事の社員を尾行する場面で歌舞伎町広場を通るときに、映画館の看板に『ダイ・ハード4.0』のタイトルが見える。
『ダイ・ハード4.0』は2007年に公開されたから、この『アフタースクール』が撮影されたのは07年であることがわかり、映画内での時制と合わない。
以上、ほんとにどーでもいいツッコミでした。
かつて映画観によく通った歌舞伎町がバッチリ映ってて、なんだか懐かしかったけど。
この映画の勝因は、ひとえに観客の思い込みを逆手に取ったキャスティングの妙にある。
堺雅人と大泉洋がならべば、ふつうはどちらが主役なのかは観る前からだいたい察しがつく。
ところが、堺雅人は後半に再登場しておいしいところをさらっていくのかと思いきや、やはり最後まで「橋渡し役」を演じるちょっと哀しい脇役だったことが判明する。
中学時代にゲタ箱の前で美紀が木村に手渡した手紙は、神野に宛てたものだった。
たしかに木村は神野がいうとおり、最後まで「真面目でイイ奴」なのであった。
大泉さんにとってはこれはかなりのもうけ役だったでしょうね。
「誰がモジャモジャだぁ〜」って笑いながら生徒たちに応えるところも、ほんとにああいう先生いそうで。
大泉洋って、ほかにも主演映画が公開されてるしドラマや舞台でもシリアスな芝居を見せているのは知ってるんだけど、僕はどうしても「水曜どうでしょう」のイメージが強いんで(いまならスープカレーの人か)、失礼ながら俳優というよりもヴァラエティ系のお兄さんって印象がある(じっさいにはTVのヴァラエティ番組にはほとんど出演していないのだが)。
今回はじめて彼が出演した映画を観たけど、まるでご本人のイメージに沿ってアテ書きされたような役柄でハマってました。
これからもこういう面白い作品に出てほしいですね。
ところで、神野の「ゲタ箱」って言い回しがちょっと懐かしかったです。
僕が子どもの頃ももちろん下駄なんて履いてなかったけど、「クツ箱」と「ゲタ箱」はどちらの言い方も使われていた。
最近の学校でも使うのかな(^^)