吉田大八監督、堺雅人、松雪泰子、満島ひかり、新井浩文、中村優子、安藤サクラ、児嶋一哉出演の『クヒオ大佐』。2009年作品。
1991年。米軍特殊部隊ジェットパイロットのジョナサン・エリザベス・クヒオ大佐と名乗る詐欺師(堺雅人)は、弁当屋の社長しのぶ(松雪泰子)と結婚の約束をしていた。彼はほかにも銀座の高級クラブのナンバーワンホステス・未知子(中村優子)、任務と称してしのぶとおとずれていた地で出会った自然科学館学芸員の春(満島ひかり)などにもいつわりの経歴を語っていた。
吉田監督の前作『パーマネント野ばら』は劇場で観ました。
菅野美穂が、傷ついたバツイチ女性のしずかな狂気を孕んだ演技を見せていた。
たしかに癖のある作品だったけど、クライマックスでのどんでん返しが僕にはとてもグッときたのでした。
で、そんな吉田監督の最新作『桐島、部活やめるってよ』が観た人たちのあいだで話題になっていたのだが、僕の住んでるところでは唯一の上映館が遠くて、夏休みの大作映画を優先させてるうちに気づくと公開が終わっていた。
一ヵ月もやってなかったと思う。
話題作なのになんでだYO!と悔やむことしきり。地方では苦戦していたという話だが。
そんなわけで観逃してしまった。
しかたないのでDVDか近場の映画館でやってくれるのを待つことにして、おなじ監督のこの作品を観ることに。
たまたま先日、主演の堺雅人の最新作『鍵泥棒のメソッド』(感想はこちら)を観たばかりで、これとおなじく内田けんじ監督の『アフタースクール』(感想はこちら)を借りて“堺雅人まつり”となるところだったんだけど、おもわぬトラブルの発生(再生途中で映像が停止、そのまま視聴不能に)で鑑賞は先送り。
それで借りてきたもう一枚の『クヒオ大佐』を観ることに。
以下、『クヒオ大佐』と『パーマネント野ばら』、そして『K-PAX』となぜかティム・バートン監督の『ダーク・シャドウ』のネタバレあり。
「実話をもとにした創作」というこの『クヒオ大佐』、一言でいうと、
…なんとも珍妙な映画!
これは感想書くのがなかなか難儀だ。
モヤモヤと妙なあとあじが残る。
堺雅人が付け鼻して片言の日本語でインチキアメリカ人を演じる。
って、もうこれだけでうさん臭さ爆発なのだが、ではこれは「ごっつええ感じ」の松っちゃん扮するベンジャミンみたいなコントなのかといったら、わりと真面目な話だったりする。
結婚詐欺師の話といえば、これも先日観た西川美和監督、松たか子主演の『夢売るふたり』(感想はこちら)と題材がおなじなわけだが、しかし映画の内容やトーンはまったく違う。
こんなに違うもんなのかと。
『夢売るふたり』は、いろいろツッコミどころもあるかもしれないけど、阿部サダヲが演じる結婚詐欺をくりかえす夫にはなんとなく「なるほど、こういう男がモテるのかな」と思わせる説得力があった。
しかし付け鼻して(一応、映画のなかではホンモノという設定らしいが。「整形?」という台詞もある)「ワタシハ、ジョナサン・エリザベス・クヒオ大佐デース」と外人しゃべりをする堺雅人の姿に説得力など1ミリもない。
だいたい、男なのになんでエリザベス^_^;
母親がかのエリザベス女王の妹の夫のいとこ(つまりほぼ他人じゃねーか)だからという、最初からやる気ねーだろ、と思えてくるふざけた偽名。
アメリカ人と称しながら英語はまったくしゃべれなかったらしいが、相手の女性に「英語教えて」といわれたらどうするつもりだったんだろう。
あと、僕は横浜や横須賀についてまったく知らないのでもしほんとにそうだったら申し訳ないんですが、あのあたりは米軍の制服を着た現役軍人が町なかをふつうにうろついてたりするもんなんでしょうか(クヒオはその格好で旅行もする)。
しかもなんだか彼だけが昭和20〜30年代みたいな身なりでソフト帽かぶってたりトレンチコートみたいなの着てるんだけど、誰も気にとめない。
映画のなかではクヒオは“竹内武男”という冗談みたいな名前(ニガクリタケのエピソードがあるだけに)に替えられているが、ホンモノのクヒオ大佐は本名・鈴木和宏というなんの変哲もない名前の正真正銘「日本人」で、1970〜80年代にかけて詐欺行為をつづけていたその筋ではけっこうな有名人らしい。
この映画の舞台は湾岸戦争がおこっていた1991年だが、時代考証を厳密にやってるといった感じはしなくて、いつの時代でもかまわないようなユルい描かれ方になっている。
トレンチコートというのも、この“クヒオ”の現実離れしたキャラクターを演出するために使われたんだろう。
じっさいには何度も逮捕歴があるというクヒオのもっと以前の詐欺のエピソードを、映画では湾岸戦争時に変えたのかもしれない。
ところで、最近この映画の主人公に似た雰囲気の登場人物が出てくる作品を観た気がして、しばらく考えて思いついたのが『ダーク・シャドウ』(感想はこちら)のジョニー・デップだった。
あの映画のジョニデはまぎれもないヴァンパイアだったが、もし彼が“自称・吸血鬼”だったら…と想像すると、この『クヒオ大佐』の主人公、ジョナサン・エリザベス・クヒオ大佐と非常に似たタイプのキャラなのだ。
どちらもマイペースで浮世離れしていて、しかしその言動はけっこう俗っぽい。自分のせいでまわりがどんなに迷惑をこうむっても気にしない。
『ダーク・シャドウ』ではジョニデ演じるヴァンパイアのために子孫たちは散々引っ張りまわされたあげく、一家離散の憂き目に遭う。しかし映画ではそのことになんのフォローもない。
一方、『クヒオ大佐』では主人公は女性たちに詐欺行為を働く。そしてこの自称・パイロットのクヒオ大佐には罪の意識がないようで、彼が自分の行為を犯罪と認識したり反省する姿は最後まで描かれない。
『ダーク・シャドウ』は個人的にはイマイチ、というかぶっちゃけ今年観た映画のなかではかなりの下位にくるであろうことは間違いないのだが、先ほど書いたようにこれが「自称・吸血鬼の男の話」だったらもっと面白がれたかもしれない。
彼にとって、めんどくさい女は“魔女”に、思春期の女の子は“狼少女”に見えたのだ。
『クヒオ大佐』は、まさにそういう話である。
彼には世界は自分が望むように見えていた。
自分が軍人でもアメリカ人でもないことがバレても、彼は片言の日本語でしゃべるのをやめない。
とにかく、堺雅人のこのしゃべり方や間のとり方が絶妙で、ときどき悶絶した(松雪泰子にマッサージしてもらいながら「腿ぉ~!!」とか)。
『鍵泥棒』でのわかりやすいコメディ演技よりもこちらの方が高度なものに感じられたほど。
詐欺師というよりもクヒオ大佐はほとんど宇宙人のような存在で、どちらかというと映画『K-PAX』で自分は宇宙人だと主張していたケヴィン・スペイシーのような「あっちにイッてしまった人」にも見える。
あの映画のスペイシーは大切な存在をうしなったショックで心の病いを発症したということが判明するが、クヒオは貧しい家庭で父親に虐待されて育つうちに自分を現実とは別の存在と思いこむようになった。
この映画のなかでクヒオの行動で唯一僕が共感できたのは、ファミレスで幼い息子に乱暴な態度で接している若い父親に殴りかかる場面。
いうことやることすべてがデタラメなクヒオの、この怒りの感情はホンモノであった。
…とまぁ、こう書くとなんだか「深イイ話」のようにも思えるし、じゃあ「児童虐待」を批判した作品なのか?なんて思われるかもしれないけどそんな単純な話ではなくて、この奇妙さをうまく文章で説明できないのがもどかしい。
終始ゲラゲラ笑えるコメディではないけれど、シリアスなドラマといっても再三いってるようにクチバシみたいな鼻した自称・米軍特殊部隊ジェットパイロットのホラに付き合わされる話なんで、あまり真剣にも観ていられないのだ。
満島ひかりとベッドをともにしたあとの場面で、堺雅人は見せる必要もない半ケツを延々と見せるし(あんたのじゃなくて、ひかりのを見せてくれよ!)。
詐欺師のくせに、だましてるはずの弁当屋の女社長のゴロツキの弟(新井浩文)に脅されて律儀に100万円を用意しようとする。
なんで逃げない?
しかも、その100万を当の女社長から調達しようとする間抜けさ。
このへんの彼のうかつさ、意味のわからなさはじつに“宇宙人”的である。
観てて、なんだかものすごい高尚な笑いのような気がした。
新井浩文が演じるしのぶの弟との電話での会話(「いまバグダッドの上空」「…だから電話するときは相手を確認しろっていったろ?」など)のくりかえしなんかも声をあげて笑ってしまった。
新井浩文の無表情でぶっきらぼうなしゃべり方とクヒオの片言の日本語のとぼけたやりとりがたまらなく可笑しい。
それにしても松雪泰子は『容疑者Xの献身』につづいて事件に巻き込まれる弁当屋の役で(しかもけっこう似合ってる)、この2作をつづけて観るとあまりに不憫で涙を禁じえない。
これは最近の『この空の花』(感想はこちら)もそうだったように“白・松雪”で、これが「あたしはそんなんじゃ濡れねぇんだよ!!」と叫んでる『デトロイト・メタル・シティ』だと“黒・松雪”になる。
『フラガール』の酒びたりのフラダンスの先生はその中間ぐらいだろうか。
そろそろまた“黒・松雪泰子”が見たいんですが。
満島ひかりはどんな映画に出てもいつも思いつめた表情でなにかを背負っているような痛みを感じさせる女優さんだけど(正直、作品としては不満も多かった『悪人』→感想はこちらでもこの人の演技は絶品だった)、この映画でもクヒオとは一夜をともにする程度の関係にもかかわらず、その存在はやはり印象に残る。
冒頭のニガクリタケの話やクヒオから「アナタ、子ドモ、嫌イデショウ?」と聞かれたりする、この映画のテーマといえるエピソードにかかわるキャラクターである。
ラスト近く、「なんで私だったの?お金なんてないのに」という彼女の問いに、松雪演じるしのぶが答える。「彼はあなたが好きだったのよ」と。
知り合ってまもなくいきなり先ほどのベッドシーンに飛ぶんで「早っ」と思ったんだけど、これまたなんであんなインチキの塊みたいな男に彼女が惹かれたのかといえば、単純に「寝てもいっかな」と思わせる男だったんだろうな、と。
なんというか、映画では堺雅人のあの甲高い声とうさん臭い雰囲気(失礼すぎ)とがあいまって、存在自体がどこか“ファンタスティック”。
たしかにこの映画観てて「堺雅人になら抱かれてもいい」とちょっと思ってしまった(…私はなにを口走っているんでしょうか)。
じっさいのクヒオさんもそんな男性だったんでしょう、きっと(しかし本人の写真を見ると、制服着てグラサンかけたただのオッサンなのだが…)。
そして、彼はしっかり選り好みもする。
で、安藤サクラはアンジャッシュの児嶋と乳繰り合ってたりする。
どうでもいいけど、園子温監督の『恋の罪』(感想はこちら)といい、アンジャッシュ児嶋の使われ方が面白い。
満島ひかりの元カレだったり水野美紀の愛人だったり、うらやましいことこのうえないが、お笑い芸人のあいだでのイジられ方とのギャップが激しすぎて。
…などと、うだうだ書き連ねてきたのだが、いっこうにこの作品の魅力に迫れていない。
クヒオにだまされていた女性たちは、満島ひかり演じる春を除いては彼がイカサマ師であることに薄々気づいていたようでもある。
ナンバーワンホステスの美知子などは、終盤になってそんなことは百も承知で面白半分に彼の茶番に付き合っていたことがわかる。
さっき僕はこのクヒオのことを「宇宙人のよう」だといったけれど、UFO遭遇譚で「宇宙人に会った」とか「宇宙人とセックスした」などと主張してる人々って、じつはSOSを発しているのだ。
彼らにはこの現実からの避難場所が必要だった。
おなじくこのクヒオという男は、だまされた女性たちにとっての「避難場所」だったのではないか。
だから彼女たちは「だまされているのでは?」と思いつつも、いっとき彼を信じようとしたのだ。
むしろ彼の話すことがあまりに突拍子もなく現実離れしていたからこそ。
さて、この映画では、クヒオ大佐=アメリカ、詐欺の被害者女性=日本、というあからさまなメタファーになっていて、冒頭で湾岸戦争で人は出せないかわりに多額の金を貢いだにもかかわらず、誰からも感謝されなかった日本についての言及がある。
クヒオはアンジャッシュ児嶋に「自分の力で自分を守れない日本人」と激高する。
このあたりが僕がこの映画に対して「???」となった理由のひとつでもある。
なんか作り手がいいたいらしいことと映画の内容が噛み合ってないよーな気がして。
クヒオは女性たちに、戦闘機から脱出する際にキャノピーに頭をぶつけて死んだ戦友の話をするが、これはトニー・スコット監督(合掌)、トム・クルーズ主演の『トップガン』からまるまるパクったネタである。
彼がまくし立てる戦争についての話は、まるで自称・超能力者やUFOとのコンタクティーなんかが世界平和について語っているのを聞くような、たまらないいかがわしさをただよわせている。
何度もいうけど、この映画は単なる“結婚詐欺師”の話であって、本来戦争はなんの関係もない(『この空の花』の高嶋政宏の「…戦争!?」っていう素っ頓狂な台詞を思いだした)。
クヒオと名乗る男は北海道出身の「日本人」で、軍人ではないし当然ながら戦場に行ったこともない。
だからこの詐欺師の話にアメリカと日本の関係をかさねられても、あまり真剣にうけ止められないのだ。
ただし、この映画は2009年の作品だけど、それから3年経った2012年現在、隣国との領土問題や沖縄へのオスプレイの配備など、きな臭いニュースがあふれているこの日本でたまたまこの映画を観た僕は、なんだか妙な寓意性も感じたのでした。
だって、お人好しの日本人がガンガン圧してくる国々によって自分のもっているものを奪われようとしているって、この映画が描いてることそのものだもの。
まぁ、個人的には「映画」に政治的な思想・信条をもちこみたくないんで、この話題についてはこれ以上述べませんが。
それよりもやはり、僕はこのデタラメにもほどがある“クヒオ大佐”という人物に想いを託し、彼を愛しさえした女性たちのことの方に興味をそそられる。
彼はしのぶによって毒性のニガクリタケが入った弁当(じつは入っていたのは毒のないクリタケ)を食べさせられて、森のなかに逃げる。
そこでまるでマジックマッシュルームでも食べたかのように彼は幻覚をみる。
アメリカ軍が彼を救いだし、ヘリに乗せたのだった。
ヘリのなかでクヒオ大佐はイラクへの進撃を高らかに謳いあげる。
…と、気づくとそこはパトカーのなかなのだった。
こうして自称・米軍特殊部隊ジェットパイロット、ジョナサン・エリザベス・クヒオ大佐は逮捕された。
しかし彼の表情は、まるで『サイコ』のノーマン・ベイツのようにどこか夢うつつのままだ。
彼にとって、かつて夢みた世界はすべて真実であった。
この「主人公にはこう見えていた」という展開は、吉田監督の次の作品『パーマネント野ばら』(感想はこちら)でさらに徹底して描かれることになる。
それにしても吉田大八監督の作風というのはどうも1作ごとに違ってるようで、このなんともつかみどころのない作品群は、まるでクヒオ大佐のごとくである。
『桐島、部活やめるってよ』は、またぜんぜん違う雰囲気の作品なんだろうなぁ。
早く観たいです(予想どおり、また違った作りの映画でした。感想はこちら)。