映★画太郎の MOVIE CRADLE 2

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「らんまん」


4月3日(月) から放送されている朝の連続テレビ小説らんまん」を毎朝観ています。

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高知県の佐川にある造り酒屋「峰屋」の長男として生まれ育った槙野万太郎(神木隆之介)は、植物に興味を持ち、やがて番頭の息子で世話係だった井上竹雄(志尊淳)とともに上京して植物学者を目指す。


実在の植物学者・牧野富太郎の人生をモデルにした物語。


実在の人物をモデルに、というのはAK(NHK放送センター、つまり東京放送局制作)では「エール」以来ですかね(BK=大阪放送局では、これの前は「おちょやん」)。

「らんまん」に対しては、Twitterで「こうなりたかった“エール”」と表現されてるかたがいらっしゃって笑ったんですが、僕もその通りだと思います(「エール」のファンのかた、ごめんなさい)。


始まってもうひと月以上経ちますが、何が嬉しいって、AKの作品を腹を立てたり途中で飽きたりせずに観続けられてること。いつぶりだろう、って。

かなりさかのぼらないといけないんですよね、僕の場合。「ひよっこ」ぐらいまで。6年も前だよ!^_^;

この「らんまん」の主人公・万太郎の姉の綾役を「ひよっこ」以来の朝ドラ出演となる佐久間由衣さんが演じられていて、時子キター!ってなりましたが(^o^)


子どもの時から万太郎のお世話をしている竹雄役の志尊淳さんは、やはりAK制作の「半分、青い。」に出てましたが、こちらもお好きな人はごめんなさい、僕は堪えられなくて途中離脱しました。志尊さんの演技力のせいではないことは、「らんまん」の彼を見てたらよくわかった。


他にも松坂慶子さんをはじめ朝ドラでおなじみだったり旬の俳優さんたちが大勢出演されてますが、何よりもモデルとなったかたへの敬意を感じるのと(当たり前のことだと思うんですが、それができてない作品もあったものだから)、とてもオーソドックスに誠実にドラマを紡いでいるなぁ、という印象がある。


作り手がちゃんと「ドラマ」を作ろうとしているのが伝わる。コントじゃなくて(アノ作品やアノ作品の作り手さんに言ってますよー)。

放送が始まったばかりの頃は、現在BSで再放送中の「あまちゃん」と比べて地味で魅力薄、みたいなことを書いてるネット記事もあったけど、何かといえば「あまちゃん」を引き合いに出して新しい作品を腐す人って、一体朝ドラに何を期待してるんだろう。「あまちゃん」って10年前の作品ですよ?この10年間、あなたは何観てきたの?

僕は「あまちゃん」にはハマらなかった人間だし、今ではもうBSが観られないのであの作品と比べてどうこう言う気もないですが、「あまちゃん」はいろんなタイミングや才能が奇跡的に合わさった特殊な作品で、あのようなドラマを他の作品に期待しても無駄だと思う。

以前「おかえりモネ」がちょっと真似っこみたいなこと(主に時間の入れ替えで)やってましたが、もちろん両者は別物だし、「モネ」が「あまちゃん」並みやそれ以上に評価されることはなかった。

あまちゃん」のあのノリって、その後ずいぶんと弊害を残したと思うんですよね。他のドラマで、コントみたいなノリで役者たちがワチャワチャやってる作劇が蔓延した。全部失敗してたと思うけど。クドカンは一人で充分だっての。誰も彼の代わりは務められないでしょ。

「エール」はその辺で「あまちゃん」を誤解した悪しき例だと思う(好きな人、ごめんなさい)。キリスト教徒だったヒロインの父親が天冠(白い三角巾)つけた仏式の死装束で幽霊として出てきたり、ふざけ方があまりにつまんなくて本当に腹が立ったもの。

ここ何年かはずっとAK作品にはガッカリし通しだったので、ようやくまともな脚本家が登場して、演出も真面目にやってくれてるのが本当に嬉しい。何度も言うけど、こんなことを嬉しがらなきゃいけないほど低レヴェルの作品が続いたので。

「らんまん」は、大河ドラマでやってもいいような感じの歴史モノだけど、ただ、主人公の万太郎は武士でもなければ「国家」を動かす政治家だとか活動家でもなく、学歴もないまま植物学者を目指している。

そして、彼の口からはしばしば「“雑草”ゆう草はないき。必ず名がある」という言葉が発せられる。このドラマのもっとも重要なメッセージだろう。


また、姉の綾は酒造りの面白さを知って家業を継ぎたいと思っているが、女性に対する差別からなかなか認めてもらえず、悔しい思いをしてきた。

これもまた、今もこの国に残る問題について触れている。

あさが来た」(感想はこちら)でも現代の社会問題を歴史モノという形で炙り出していたけれど、主人公・あさ(波瑠)とそのモデルであった広岡浅子さんが高名な実業家で社会運動家でもあったのに対して、万太郎もモデルの牧野さんも、もうちょっと地味な存在というか(後年、多くの賞を授与されているし、その道の権威であることには違いないが)、市井の人に近いんですよね。

というか、少なくともこのドラマではそのように描こうとしている。

万太郎は竹雄から「峰屋は若(万太郎のこと)の財布じゃない。ハイッ(復唱して!)」と何度も繰り返し念を押されるんだけど、万太郎の金銭感覚は今後の展開に関係してきそうなところだし、彼が学者目指して遊学できているのは実家の資産のおかげであることを言ってるわけですね。

万太郎自身は要するにええとこのボンボンなんだけど、それが当たり前のことではない、というのを作り手は常に意識している。

二人は現在はドクダミが生えている貧しい長屋に下宿して、万太郎はそこで研究を続けているところだけど、牧野富太郎さんが実際にそういう生活をしていたのかどうかは知りませんが、つまりそうやって「普通の人々」との交流を通して「上」から国や人を見下ろすのではなくて、僕らと同じ一般の人たちの目線でものを見て、一人ひとりの存在を浮かび上がらせようとしているのでしょう(万太郎が荷物を盗まれた、大東駿介さん演じる倉木は元・彰義隊という設定)。誰も「モブ(その他大勢)」ではない、と。

ちなみに、あまり先の展開を知りたくないのであえて牧野富太郎さんの人生については詳しく調べないようにしていますが、ドラマでは万太郎と綾は実は姉弟ではなく従姉弟同士で、祖母のタキ(松坂慶子)から「夫婦(めおと)になれ」と命じられるものの、二人はそれを拒絶してそれぞれの生き方を自分で決める。

でも(ハイ、ここからネタバレに繋がるかもしれませんから先の展開を知りたくないかたは、この記事を「そっ閉じ」してください)、実際には牧野さんは従妹と結婚していて、東京で出会った女性(それも14歳!)と同棲して子どもを作って、実家に置いてきた嫁を番頭とくっつけている(あえてぞんざいな表現、書き方をしております)。

現在の道徳や倫理観(当時でも、かもしれないが)ではちょっと考えられない乱暴なことをしてるんですよね。

だから、「牧野富太郎の伝記」ではなくあくまでも“フィクション”であるこのドラマで、作り手が「何を描こうとしているのか」を読み取っていくことはとても大切だろうし、このドラマの面白さはそこにこそあるのだろうと思います。

綾が自分の意志で掴み取った(無論、結果的に万太郎が長男としての役目を放棄したからだが)仕事、そして、学歴にこだわらずに研究の道へ踏み出した万太郎。

それから苗字を得た竹雄(平民苗字必称義務令が出されたのは1871年なので、竹雄には以前から苗字はあったのだが)は、これから「平等」という概念を実感していくのかもしれない。

初めて東京を訪れた時に出会った自由民権運動家の早川逸馬宮野真守)や中濱(ジョン)万次郎(宇崎竜童)、あるいは子どもの頃に天狗=坂本龍馬ディーン・フジオカ)と出会ったエピソード(島崎和歌子さん演じる「民権ばあさん」と呼ばれる女性もモデルがいるようだし)など、牧野富太郎の人生にそういう事実はおそらくないのだろうから、同時代のさまざまな人々と劇中で万太郎を接触させることで「雑草という草はない」という彼の言葉がさらに大きな意味と広がりを持って力強く聞こえてくるようにしているんですね。


自由民権運動にかかわったとして警察に捕まった万太郎(これも、僕は牧野富太郎さんの自伝は読んでないからそういう事実があったのかどうか知りませんが、多分フィクションなのでしょう。ご存じのかたがいらっしゃったらご教示ください)を釈放させたタキが無礼な発言をした警察官に「孫を能なし呼ばわりしたら、許さんぞね!」と啖呵を切るところは夏目雅子か二代目麻宮サキのようなかっこよさがあって、こういう官憲への異議申し立ては、今この国を覆っている権力に対する忖度や太鼓持ちのような媚びへつらいの蔓延に対する反感からくるものだと思いたい。

逸馬が唱える「生存の権利」は、ここ最近この国で目立っている人権の軽視への批判にも感じられる。不当に捕まり、拘置されて拷問される人たちの描写は、残念ながら「今」の日本と無関係ではない。

まんぷく」にもそういう場面はあったけど、「らんまん」で政治とは直接的にはかかわらない万太郎が今後どのようにこの国の歴史と絡んでいくのか、これからの展開が楽しみです。

浜辺美波さん演じる寿恵子は牧野富太郎の妻・壽衛(すえ)がモデルだけど、前述の通り、壽衛さんとの出会いとはドラマの方ではかなり変えてあるので(10代の少女が相手ではマズいし)、ここでもこのドラマで主人公の妻となる女性をどのように扱い、描こうとしているのか興味は尽きない。


今週のサブタイトルは「ボタン(牡丹)」(このドラマでは毎週、植物の名前が副題になっている)。その意味するところはなんだろう。

あいみょんさんの唄う主題歌「愛の花」は、人を大切にすること、愛することについて唄ってる気がするし、これは寿恵子が万太郎のことを、万太郎が寿恵子のことを想って唄っているのかな、なんて考えながら優しいメロディと歌詞を聴いています。

万太郎はきっと、幼い頃に亡くなった母・ヒサ(広末涼子)のことをいくつになっても片時も忘れはしないだろう。命(=草花)の大切さは、あの母を失った時から彼の心に刻まれているのに違いない。

次の放送も待ち遠しいなぁ。


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